概要
ゴーストップ事件は、巡査と兵士の喧嘩が警察と陸軍の対立まで発展した戦前の大阪で起きた事件です。
名 前 | ゴーストップ事件 (ごーすとっぷじけん) |
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別 名 | 天六ゴーストップ事件、天六事件、進止事件 |
区 分 | 事件 |
期 間 | 1933年(昭和8年)6月17日~11月19日 |
場 所 | 大阪府大阪市北区天神橋六丁目 |
時 代 | |
備 考 |
年表
1933年(昭和8年)
6月17日 第4師団第8連隊の中村一等兵と曽根崎署の戸田巡査が喧嘩
午前11時半頃、大阪市北区天神橋筋6丁目の交差点で、第4師団第8連隊の中村一等兵が赤信号を無視して渡ろうとしたところ、曽根崎署の戸田巡査に注意され、「軍人は警官の命令に従わない」といい、殴り合いのけんかとなる。
そして知らせを受けた憲兵隊が曽根崎署に抗議するが、曽根崎署は反論し、ゴーストップ事件が始まる。
6月22日 第4師団参謀長・井関大佐が重大声明を発表
第4師団参謀長・井関大佐がゴーストップ事件は皇軍の威信に関わる問題だと声明を発表する。
しかし、粟屋府警察部長も陳謝はしないと反論。
6月24日 寺内第4師団長と縣府知事が会見
会見するも決裂
一兵士と一巡査の喧嘩が、師団と府の対立となる。
6月28日 井関参謀長が更に言明
井関参謀長は「軍人の身体は上御一人に捧げてある。したがって外出中でも軍服を着ておれば、軍の統帥権内にある」と言明。
しかし、粟屋府警部長も「軍隊行動でない個人としての軍人と、一般民衆の扱いに違いはない」と反論。
7月3日 荒木陸相が現地調査
第4師団を激励する。
ここに至り、大臣レベルの争いとなる。
7月11日 陸軍が中村一等兵の名で戸田巡査を告訴
8月4日 大阪地検が両人を呼び出し現場検証
当時話題となっており、早朝から6・700人の見物人がおしかける始末。
大阪地検は和解を勧告するが、両人とも応ぜず。
その後、小山法相も二度来阪して斡旋に努めるが失敗。
11月19日 急きょ解決
事態を憂慮した天皇が特命を出し、白根兵庫県知事が調停に乗り出し、急きょ解決に至る。
参考
「大阪の歴史」研究会「大阪近代史話」
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