堂島米会所

概要

 堂島米会所は、世界初の先物市場と言われる、米を取り扱った市場です。

名 称堂島米会所 (どうしまこめかいしょ)
別 名大阪堂島米商会所、大阪堂島米穀取引所
住 所〒530-0004  大阪府大阪市北区堂島浜1丁目2
地 図

年表

17世紀後半

この頃、自然発生的に北浜米市(淀屋米市)が生まれる


1697年(元禄10年)

この年、北浜米市が対岸の堂島に移転

この後、「堂島米会所」と言われるようになる。


1716年(享保元年)

この年、帳合米取引開始

従来は、最初は蔵米切手や米の現物などを扱う正米市場であったが、この頃から、帳簿上で取引・決済が行われる「帳合米取引」が開始


1730年(享保15年)

この年、幕府により公許される


1869年(明治2年)

この年、新政府により廃止

新政府は帳合米取引を賭博と見て、堂島米会所を廃止する。
しかしこれにより、基準となる米価がなくなり、米穀売買が混乱する


1870年(明治3年)

12月 政府により再興が許可される

武富辰吉・磯野小右衛門らが再興運動を興し、許可される


1871年(明治4年)

7月 堂島米会所が再興される

なお、廃止に当たり帳合米取引が問題となったことから、5か月を1期間として現物を受け渡す限月米取引が編み出される。


1873年(明治6年)

この年、油取引も開始される


1876年(明治9年)

この年、米商会所条例発布

これにより、堂島米会所は「大阪堂島米商会所」となる


1893年(明治26年)

この年、取引所法制定

これにより、大阪堂島米商会所は、「株式会社大阪堂島米穀取引所」と改組


1918年(大正7年)

7月 米騒動が起こる

以前から、生活必需品である米が投機対象となることに対して問題視されることがあったが、この事件により、この後、米価の調整が行われるようになる。


1927年(昭和2年)

この年、正米市場開設

政府は、投機的な清算取引を規制しようと、正米市場を開設させる。


1939年(昭和14年)

8月25日 大阪堂島米穀取引所は幕を閉じる

この年、米穀配給統制法が公布され、米の自由市場が消滅することになり、大阪堂島米穀取引所も幕を閉じることになる。


2013年(平成25年)

2月12日 関西商品取引所が「大阪堂島商品取引所」と改名

関西商品取引所が堂島米会所にあやかり、「大阪堂島商品取引所」と改名する。
(日本で唯一のコメ先物市場となっている)


ゆかりの地・施設

堂島米会所の歴史に関する施設・ゆかりの地です。

堂島米市場跡碑

堂島米市場跡に記念碑が建立されている。

  堂島米市場跡碑(大阪府大阪市北区堂島浜-丁目3)

参考

  「大阪の歴史」研究会「大阪近代史話

  大阪堂島商品取引所「商品先物こばなし「DOJIMA ショート・ショート」

コメント

タイトルとURLをコピーしました