年表
奈良時代
この頃から、一部でお茶が飲まれていたという記述がある
聖武天皇が行茶と称して僧に茶を賜うという記述がある(『奥儀抄』)。
805年(延暦24年)
最澄が唐から団茶とお茶の実を持ち帰ったされる
そして、そのお茶の実を滋賀県大津市にある日吉大社に植えたとされている。
806年(延暦25年/大同元年)
空海が中国から茶の種と石臼を持ち帰ったとされる
ただしこの頃は、どこまで栽培が進んでいたのかは不明。
1191年(建久2年)
栄西禅師が唐から帰国
お茶の種を持ち帰り、福岡の背振山に播いたとされる。
1207年(建永2年/承元元年)
明恵上人が茶の種を植える
栄西禅師から贈られたものを、京都の栂尾高山寺に植えたとされている。
1211年(承元5)
栄西禅師が「喫茶養生記」を著す
「茶は養生の仙薬となり、延齢の妙術なり」とお茶の効能を紹介し、お茶への関心が高まる
お茶への関心も高まり、栽培も進められたことから、この頃から、茶の栽培が本格化し、他の地域に拡大したとされる。
1241年(仁治2年)
駿河の僧・弁円(聖一国師)が宋から茶の種を持ち帰る
それを現在の静岡市足久保に栽植したとされる(静岡のお茶のはじまり)。
1267年(文永4年)
大応国師が宋から茶台子と茶に関する書物7部を持ち帰る
また、大応国師は茶宴や闘茶の習慣を日本に伝えたともされている。
1612年(慶長17年)
徳川家康がお茶壺屋敷を建てる
秋の茶会用のお茶を保存するため、現在の静岡県大井川大日峠にお茶壺屋敷を建てる
元和年間(1615~1623年)
この頃、駿河に茶問屋が興る
1654年(承応3年)
明の隠元が渡来し、煎茶の技術が伝えられる
1738年(元文3年)
新しい製茶法が生み出される
京都の永谷宗七郎(宗円)が15年もの歳月を経て、茶葉を蒸してもみ、乾かす「青製煎茶(宇治製法)」を確立する。
1835年(天保6年)
六代目・山本嘉兵衛が玉露茶を発明する
江戸時代末期
開港と共に、お茶が輸出されるようになる。
明治時代初期
更に、お茶の輸出は拡大する。
日本茶の品質改良、輸出振興策も採られ、日本にとって、お茶は重要な輸出品となる。
反面、着色など粗製濫造が起り、品質低下が見られるようになる。
1884年(明治17年)
「茶業組合準則」が発布される
府県での組合組織化、粗製茶の防止が図られる。
1887年(明治20年)
「茶業組合規則」が公布される
茶業組合中央会議所の統制で、生産増加・品質改良、海外販路の拡大を図ろうとする。
1898年(明治31年)
高橋謙三が粗揉機を完成させる
この機械が、製茶機械の原理の元となる。
1908年(明治41年)
杉山彦三郎が茶品種「やぶきた」を選抜する
1908年(明治41年)
杉山彦三郎が茶品種「やぶきた」を選抜する
1981年(昭和56年)
伊藤園が初めて缶入り烏龍茶を発売する
1985年(昭和60年)
伊藤園が初めて缶入り緑茶を発売する
1990年(平成2年)
伊藤園が初めてペットボトル入りの緑茶を発売する
参考
小国伊太郎『心と体に効くお茶の科学』
杉山伸也『日本経済史 近世─現代=9&a=4000242822″ width=”1″ height=”1″ border=”0″ alt=”” style=”border:none !important; margin:0px !important;” />』
伊藤園「お茶百科」
静岡市「お茶のまち静岡市」
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