アメヤ横町

年表

アメ横がある地域は、元来、住宅地であったが、国鉄の変電所を空襲から守るため、強制疎開が行われ、空き地ができる。


1945年(昭和20年)

この空き地で、通常の商売人に加え、復員軍人・朝鮮人・中国人など様々な人たちが商売を始めるようになり、青空市場・闇市となる。


1946年(昭和21年)

5月 25コマの2号館建設

上野で工場経営をしていた近藤広吉が、下谷区長に掛け合い、土地の一時使用という条件で、現在のアメ横センタービルのある三角地帯に借り受け、25コマに仕切られたバラック建ての「近藤マーケット」を建設する

11月 80コマの1号館建設


1947年(昭和22年)

この頃、台東区長・上野警察署長を顧問とする中国からの引揚者会が活動を始める。
引揚者には、満鉄などに派遣された国鉄職員も多く、その関係からガード下を借りて区割りし出店。

更に当時、飴屋を始め、非常に繁盛したため、「アメ屋横丁」と呼ばれるようになった。


1948年(昭和23年)

この頃からは、米軍基地の横流し物資などが、アメ屋横町で販売されるようになった。


1949年(昭和24年)

12月24日 近藤マーケットで火災発生

原因は不明だが、放火説も流れる。


1950年(昭和25年)

5月 新たにジュラルミン製の「シルバーハウス」が建つ
6月25日 朝鮮戦争勃発

朝鮮戦争が勃発し、米軍基地からの横流し物資や密輸品などが増加する。
アメリカ製品が安く売られるようになり、「アメリカ横町」とも呼ばれるようになった。


1951年(昭和26年)

11月30日 新宿などの闇市が整理される

アメ横は公有地を借り受けて商売をしていたため、整理を免れる。
また、新宿などの闇市で米軍基地からの横流し物資などが販売できなくなったため、それらの物資が更にアメ横に集まる。


1981年(昭和56年)

5月30日 出火(木造2階建て8棟52店舗、約460平方メートル全焼)


1983年(昭和58年)

1月16日 「アメ横センタービル」完成
1月30日 「アメ横プラザ商店街」オープン


1987年(昭和62年)

東北・上越新幹線の上野駅乗り入れを記念して、「賑わいの像」設置

賑わいの像


2010年(平成22年)

アメ横商店街連合会のイメージキャラクターの名称が「アメどん」決定

アメどん
(出典)アメどん公式ページ


2014年(平成26年)

5月 「アメ横アイドル劇場」オープン
10月18日 アメ横のご当地アイドル「ボンボンアンジュ」誕生


商店街

  上野アメ横商店街公式サイト


参考

  長田昭「アメ横の戦後史―カーバイトの灯る闇市から60年

  2014年10月29日 上野経済新聞「上野・アメ横のご当地アイドル「ボンボンアンジュ」誕生-デビューライブも」

  2014年5月1日 産経新聞「ご当地アイドルの「聖地」目指す アメ横に劇場オープン 東京」

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