宝塚歌劇団

年表

1911年(明治44年)

箕面有馬電気軌道(現:阪急電鉄)が、大阪-有馬までの鉄道建設を計画し、大阪-宝塚まで完成したが、宝塚-有馬間の工事認可が遅れる。
武庫川右岸に宝塚温泉があり、温泉施設を建設しようとしたが、地元業者の反対にあい、武庫川東岸に宝塚新温泉を建設。そして宝塚温泉との差別化のため、室内プールを作ったが不人気で、劇場(パラダイス劇場)として催し物を始める。


1913年(大正2年)

9月 催し物の余興として、「宝塚唱歌隊」創設


1914年(大正3年)

4月1日~5月30日 宝塚少女歌劇養成会第1回公演

「宝塚唱歌隊」から「宝塚少女歌劇団」と改名して旗揚げ。
『ドンブラコ』『浮れ達磨』『胡蝶の夢』が公演され、公演期間中、大入り満員となる。

しかしその後、経済不況から観客が激減する。
そこで、大阪毎日新聞社主催の大毎慈善観劇会に出演。新聞社と手を結ぶことで、知名度がアップし、観客動員が年々増える。


1918年(大正8年)

5月26日 帝国劇場で東京公演(5日間)

この後しばらく、年1回公演が続き、新橋演舞場や歌舞伎座での公演が行われた

8月11日 『歌劇』創刊


1919年(大正8年)

この年、廃園となっていた箕面動物園の中にある公会堂を宝塚に移築し、公演開始。

合わせて、パラダイス劇場と歌劇新劇場(公会堂劇場)を交互に使用できるようになり、「花組」「月組」の2つのグループ誕生。

1月 「宝塚音楽歌劇学校」設立(養成会は解散)

初代校長は小林一三で、生徒の育成が行われる。また、卒業後は、研究科の生徒として、「宝塚少女歌劇団」を編成し、学校と歌劇団は一体で運営される。


1923年(大正12年)

1月 パラダイス劇場・歌劇新劇場が全焼


1924年(大正13年)

7月 東洋一の大劇場「宝塚大劇場」が開場

完成に合わせ、「雪組」も作られ、公演期間1か月で、常時公演できる体制が確立。


1927年(昭和2年)

9月1日 日本で最初のレビュー『モン・パリ』上演


1930年(昭和5年)

8月 『パリゼット』上演

『モン・パリ』『パリゼット』の成功で、レビューの宝塚に変貌する。


1934年(昭和9年)

1月1日 「東京宝塚劇場」開場

合わせて「星組」が誕生し、4組体制となる。


1938年(昭和13年)

10月2日 天津乙女、奈良美也子など30名が日独伊親善芸術使節団として、出発(25都市を巡演)(~翌年3月4日帰国)


1939年(昭和14年)

4月6日 小夜福子など40名がアメリカ公演に出発(9都市で公演)(~7月4日帰国)
12月 宝塚音楽歌劇学校と宝塚少女歌劇団が分離


1940年(昭和15年)

この年、宝塚少女歌劇団から宝塚歌劇団と改名。


1944年(昭和19年)

この年、戦時中の統制から、宝塚大劇場・東京宝塚劇場併催となる。


1945年(昭和20年)

12月24日 東京宝塚劇場が駐留軍に接収される


1946年(昭和21年)

4月 宝塚大劇場再開


1955年(昭和30年)

4月 東京宝塚劇場が返還される


1957年(昭和32年)

1月25日 小林一三死去

この後、宝塚人気が陰りが見られるようになる。


1974年(昭和49年)

この年『ベルサイユのばら』誕生


1977年(昭和52年)

『風と共に去りぬ』誕生


1992年(平成4年)

11月24日 宝塚大劇場閉鎖


1993年(平成5年)

1月1日 新しい宝塚大劇場開場


1997年(平成9年)

12月12日 新しい組「宙組」披露
12月29日 『アデュー・東京宝塚劇場 わが心のふるさと』公演で、東京宝塚劇場閉鎖


1998年(平成10年)

5月29日 「TAKARAZUKA1000days劇場」オープン


2000年(平成12年)

12月13日 「TAKARAZUKA1000days劇場」閉幕


2001年(平成13年)

1月1日 新東京宝塚劇場オープン


参考

  植田紳爾「宝塚百年の夢

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