概要
ノモンハン事件は、昭和初期に日本とソ連との間で起こった武力紛争です。
名 前 | ノモンハン事件 (のもんはんじけん) |
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別 名 | ノモンハン事変 |
区 分 | 戦争 |
期 間 | 1939年(昭和14年)5月~9月 |
場 所 | ノモンハン(ハルハ河畔) |
時 代 | 昭和 |
備 考 |
内容
ノモンハン事件とは、1939年(昭和14年)、モンゴルとの国境を巡り、起こった武力衝突である。
当時の満州国とモンゴルとの間で、外蒙古の国境についてくい違いがあり、武力衝突へと発展、5月(第1次)と7・8月(第2次)に戦闘が行われた。
当初は、関東軍と外蒙軍との戦いであったが、モンゴルとの相互援助条約に基づき投入されたソ連軍との戦いとなった。
結果、近代化された装備を整えたソ連軍を前に、戦闘を行った第23師団(約1万5000人)は、戦死者32%、戦傷者36%、戦病者5%(合計 約74%)という壊滅的な損害を受けた。
経緯
出来事 | |
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5月11日 | 外蒙軍が、関東軍側が国境としているハルハ河を超えたが、満州軍が撃退。 |
5月12日 |
再び、外蒙軍が越境(第23師団の一部が出動したが、外蒙軍は撤退)。 (その後も3度外蒙軍の越境が行われる) |
5月21日 | 第23師団長は、山県支隊を編成し攻撃を命じる。 |
5月29日 | 山県支隊がソ連軍の抵抗に遭い、惨敗する。 |
5月31日 | 第1次ノモンハン事件終結 |
7月1日 | 日本軍は大攻勢を行うが失敗に終わる(~5日) |
7月末 | 再度、日本軍は大攻撃の準備に着手 |
8月20日 | ソ連軍により、日本軍陣地への空軍爆撃を含め、日本軍への攻撃が行われる |
8月29日 | 最後まで抵抗した日本軍左翼が撃破される |
8月23日 | 独ソ不可侵条約の締結が発表 |
8月28日 | 独ソ不可侵条約の影響から、平沼内閣は総辞職 |
8月31日 | 日本軍は、外蒙側の定めていた国境外へと駆逐される |
9月15日 | モスクワでノモンハン停戦協定が締結 |
文献
森山康平「はじめてのノモンハン事件」
小林英夫「ノモンハン事件―機密文書「検閲月報」が明かす虚実」
岩城成幸「ノモンハン事件の虚像と実像; 日露の文献で読み解くその深層」
参考
伊藤隆「日本の歴史 30 十五年戦争 」
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