概要
日本万国博覧会は、1970年(昭和45年)に大阪で開催された万国博覧会です。
名 前 | 日本万国博覧会 (にほんばんこくはくらんかい) |
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別 名 | 大阪万博、大阪万国博覧会 |
区 分 | イベント |
期 間 | 1970年(昭和45年)3月14日~9月13日 |
場 所 | 大阪府吹田市万国博会場(現:万博記念公園) |
時 代 | 昭和 |
備 考 |
年表
1963年(昭和38年)
9月 博覧会国際事務局会長が国際博覧会条約への加盟を日本政府に働き掛ける
1964年(昭和39年)
4月 参議院の商工委員会で政府が万博開催に前向きの姿勢を示す
そしてこの動きを見て、大阪府知事・大阪市長・大阪商工会議所会頭が連名で、大阪への誘致要望書を政府に提出
その後、滋賀県・神戸市・東京都・千葉県なども誘致の動きを示す。
更に、開場として、大阪府が千里丘陵、大阪市が南港埋立地を主張し、紛糾(通産大臣の斡旋で解決)
1965年(昭和40年)
4月 開場が千里丘陵に決まり、会場予定地の土地買収が開始
1968年(昭和43年)7月に終了
9月14日 千里丘陵での万国博覧会開催が正式に決定
会場建設関係費用として、シンボルゾーン建設など万博協会の建設が523億円、国内外の展示館建設費が350億円、その他を含めると1061億年。
10月 (財)日本万国博覧会協会が主催団体として認可を受ける
1966年(昭和41年)
3月 開催期間が決定
1960年代後半
この頃、万国博覧会開催に当たり、インフラ整備が行われる
道路では大阪中央環状線・内環状線・新御堂筋線・阪神高速道路、鉄道では北大阪急行・阪急千里山線延長などの整備が行われた。
このようなことから、経済効果としては、万博による純増の投資が2406億円、会場内外での消費・運営費が3314億円で、総計すると6781億円。
更に波及効果を入れると2兆円近くと推計された。
1970年(昭和45年)
3月15日 「日本万国博覧会」開幕
「人類の進歩と調和」という統一テーマのもと、77ヶ国、4国際機構、1政庁、6州、3都市、2外国企業、国内の地方公共団体・企業が出展。
お祭り広場では88回の各種催し物が開かれた。
9月13日 「日本万国博覧会」閉幕
当初予想では3000万人だったが、最終的には6400万人の入場者となり、参加団体数・入場者数ともに、万国博覧会史上、最高記録となった。
参考
「大阪の歴史」研究会「大阪近代史話」
小山仁示・芝山篤樹「大阪府の百年」
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