天和の大火

概要

 天和の大火は、八百屋お七のエピソードから「お七火事」とも呼ばれる、1682年(天和2年)に江戸で起こった大火です。

名 前天和の大火 (てんわのたいか)
別 名お七火事
区 分火災
期 間1683年1月25日(天和2年12月28日)
場 所江戸(現:東京都)
時 代江戸
備 考

年表

1682年(天和2年)

12月28日 駒込大円寺から出火

午後2時頃、駒込大円寺から出火し、その後、東は本所、南は日本橋まで類焼した。
焼死者は3500人にのぼったと言われる。

この火事により、深川芭蕉庵も焼け、松尾芭蕉は水に潜ってかろうじて助かった。
また、この火事で両国橋が焼け、本所の開発は中止となる。


1683年(天和3年)

この年の初め、寺小姓・生田庄之助と八百屋久兵衛の娘・お七が恋仲になる

火事で駒込正仙寺(円乗寺とも言われる)に避難した駒込片町の八百屋久兵衛の娘・お七が、寺小姓・生田庄之助(左兵衛とも言われる)と恋仲になる。

3月2日 お七が放火

お七は庄之助に会いたい一心で放火。しかしすぐに消し止められる。

3月29日 お七は火刑に処せられる

鈴ヶ森でお七は火刑に処せられる。
このような事件もあったころから、この大火は「お七火事」とも言われる。


1686年(貞享3年)

この年、井原西鶴が『好色五人女』を発刊

これにより、お七の話が取り上げられ、評判となる。


ゆかりの地・施設

天和の大火に関する施設・ゆかりの地です。」

出火元となったとされる大円寺には、お七ゆかりの焙烙地蔵があり、お七が逃げ込み庄之助と出会ったとされる円乗寺にはお七の墓があります。

  大円寺(東京都文京区向丘1-11-3)

  円乗寺(東京都文京区白山1-34-6)

参考

  河出書房新社編集部編『大江戸歴史百科

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