階級(陸軍)

概要

戦前の陸軍の階級は、将校・下士官・兵の階級層から構成され、17の階級があった。

階級層階級
将官大将、中将、少将
佐官大佐、中佐、少佐
尉官大尉、中尉、少尉
下士官准尉(特務曹長)、曹長、軍曹、伍長、兵長
上等兵、一等兵、二等兵
なお、将官から尉官までの階級のものを総称して「将校」という言い方がある


将官

大将

 大将は、陸軍の階級の中で最高位の階級である。ある種特別な階級で、明治以来(没後進級7人を含め)134人しか大将にはなっていない。
 大将は親任官であり、天皇から直接任命され、宮中での親任式が行われるのが慣例であった。
 また役職としては、師団が10・20個も含まれるような大軍団の指揮官にしかならなかった。役所でいえば、(実際は中将が多かったが)陸軍大臣・参謀総長・教育総監などの三長官に就いた。


中将

 中将は、大将に次ぐ階級であり、大将と同じく、直接天皇から任命される勅任官である。ただ、大将と異なり、親任官ではないため、親任式などは行われない。
 役職としては師団長、役所でいえば陸軍次官・参謀次長などの職に就いた。
 ただ、師団長は親補職として直接天皇が任命するポストであったため、その他のポストよりも一ランク上だと考えられていた。また、平時には、師団長は宮中に天皇に拝謁し、激励の言葉をかけてもらうこともできた。


少将

 少将は、将官の中では最も低い階級であるが、旅団長や歩兵団長などのポストに就いた。


佐官

 佐官には、大佐・中佐・少佐という階級があるが、ポストとしては、連隊長は大佐、大隊長は中佐が就いた(なお連隊と言っても、輜重兵連隊や工兵連隊などは人数が少なかったので、中佐が就いた)。
 また、中佐や少佐は、連隊本部の副官や師団司令部の参謀などを務めた。


尉官

 尉官には、大尉・中尉・少尉という階級があるが、ポストとしては、大尉や古参の中尉が中隊長となった。
 また、中隊付将校として、少尉や見習士官は、初年兵教育や陣営具管理などの業務にあたった(実際は、曹長や軍曹が実施)。


見習士官

 士官学校・予備士官学校・各兵科の実施学校を卒業して、曹長となった者が見習士官となり、中隊に派遣された。
 通常、数カ月の隊付教育の後、少尉に任官した。


下士官

 下士官とは、准尉・曹長・軍曹・伍長・兵長の総称であるが、上記の将官・佐官・尉官といった将校とは大きな違いがあった。
 将校はある種エリートで、陸軍省・参謀本部・教育総監部などの役所(官衙)には将校が勤務したが、下士官がそのようなところに勤務することはなかった。また、軍の運営上、方針を示すだけであったが、下士官は実務的な運営を指揮した。
 そのため、実際に戦争が始まると、経験のない将校などは指揮がとれず、下士官が実際の指揮を執ったりもした。


准尉(特務曹長)

 准尉(昭和14年以前は特務曹長と呼称)は、中隊事務の実質的な指揮者である。
 准士官とも呼ばれ、一応は将校であり、将校集会所にも顔を出せるポストであったが、少尉以上は奏任官、准尉は他の下士官と同様に判任官であり、本質的には下士官である。

 兵隊からのたたき上げで、軍隊生活何十年といった者が就き、実務上のエキスパートであった。また、兵隊人事にも関わっており、兵隊からは「兵隊元帥」と俗称・畏敬されていた。


曹長・軍曹

 曹長・軍曹は、下士官の中で准尉に次ぐポストである。
 これらの職に就くには、非常に優秀で選抜される必要があった。選抜されると、特別の養成学校で教育を受けた。

 また、曹長においては、准尉と同様に、衛兵勤務から除外され、長靴を履き、長剣をぶら下げることが許され、職務においても、連隊本部との連絡調整や経理・陣営具の管理などを行った。


兵長・伍長

 戦場での働きぶりや経験年数により、上等兵はこれらの職に昇進することができた。
 上記の准尉・曹長・軍曹などは管理職的な要素が強く、下士官の中で、実際の兵にいつも接していたのは、兵長・伍長であった。


 初年兵が二等兵、二年兵が一等兵、二年兵の中で優秀な者が上等兵に就いた。

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