足利義政

概要

 足利義政は、室町時代に東山文化を築いたりしたが、同時に守護大名の対立などから応仁の乱を引き起こすこととなった室町幕府第8代将軍です。

名 前 足利 義政 (あしかが よしまさ)
別 名(幼名)三寅、三春
性 別 男性
生没年 1436年1月20日(永享8年1月2日)~1490年1月27日(延徳2年1月7日)
出生地 京(現:京都府)
没 地
時 代 室町戦国
父 親 足利義教
母 親 日野重子
配偶者 (正室)日野富子、(側室)大舘佐子、今川範将の娘
子 供 (実子)足利義尚、等賢同山、足利義覚、光山聖俊、女子、堯山周舜、(養子)足利義視足利義稙足利義澄
家 族
備 考

略年表

 足利義政の人生について、簡単に分かりやすくした略年表です。

年齢 出来事
1436年(永享8年) 1歳 生誕
1443年(嘉吉3年) 8歳 家督相続
1449年(文安6年) 14歳 元服し、将軍職就任
1453年(享徳2年) 18歳 改名し、義政と名乗る
1464年(寛正5年) 29歳 弟・義尋を足利義視と名乗らせ、養子として後嗣に決定
1465年(寛正6年) 30歳 実子・義尚誕生
1467年(文正2年/応仁元年) 32歳 応仁の乱
1473年(文明5年) 38歳 将軍職を義尚に譲り隠居
1483年(文明15年) 48歳 東山山荘に移り住む
1490年(延徳2年) 55歳 病死

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