本多忠勝

概要

 本多忠勝は、徳川家随一の猛将として知られた徳川四天王の1人であり、初代大多喜藩主・初代桑名藩主となった戦国武将です。

名 前本多 忠勝 (ほんだ ただかつ)
別 名(幼名)鍋之助、(通称)本多平八郎
性 別男性
生没年1548年3月17日(天文17年2月8日)~1610年12月3日(慶長15年10月18日)
出生地三河国額田郡蔵前(現:愛知県岡崎市西蔵前町)
没 地
時 代戦国安土江戸
父 親本多忠高
母 親小夜
配偶者(正室)於久の方、(側室)乙女の方
子 供小松姫、もり姫、本多忠政本多忠朝、本多信之室、松下重綱室、蒲生瀬兵衛室
家 族
備 考

略年表

 本多忠勝の人生について、簡単に分かりやすくした略年表です。

年齢出来事
1548年(天文17年)1歳生誕
1560年(永禄3年)13歳初陣
1570年(元亀元年)23歳姉川の戦いで単騎駆け
1572年(元亀3年)25歳三方ヶ原の戦い
1575年(天正3年)28歳長篠の戦い
1582年(天正10年)35歳本能寺の変後の伊賀越え
1584年(天正12年)37歳小牧・長久手の戦い
1590年(天正18年)43歳上総国夷隅郡大多喜を所領
1600年(慶長5年)53歳関ヶ原の戦い
1601年(慶長6年)54歳伊勢国桑名に移る
1609年(慶長14年)62歳隠居
1610年(慶長15年)63歳桑名で死去
(※)年齢は、満年齢ではなく数え年です。

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