九鬼嘉隆

概要

 九鬼嘉隆は、九鬼水軍を率い、志摩の国衆から織田信長豊臣秀吉などに仕え、志摩国を領した戦国大名・武将です。

名 前九鬼 嘉隆 (くき よしたか)
性 別男性
生没年1542年(天文11年)~1600年11月17日(慶長5年10月12日)
出生地志摩国英虞郡波切城(現:三重県志摩市大王町波切)
没 地洞仙庵
時 代戦国安土
父 親九鬼定隆
母 親
配偶者妹法輪院、妙天院
子 供九鬼成隆、九鬼徳隆、九鬼守隆、九鬼主殿助 他
家 族
備 考

略年表

 九鬼嘉隆の人生について、簡単に分かりやすくした略年表です。

年齢出来事
1542年(天文11年)1歳生誕
1569年(永禄12年)28歳織田信長の北畠攻めに参加
1574年(天正2年)33歳一向一揆攻めに参加
1576年(天正4年)35歳第一次木津川口の戦いで敗戦
1578年(天正6年)37歳木津川口で毛利軍を撃破(この功で加増され、3万5,000石を領する大名となる)
1582年(天正10年)41歳羽柴秀吉に臣従
1587年(天正15年)46歳九州攻めに参戦
1590年(天正18年)49歳小田原攻めに参戦
1592年(天正20年)51歳文禄の役に参加
1600年(慶長5年)59歳関ヶ原の戦いで自害

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