乃木希典

概要

 乃木希典は、日露戦争で旅順攻囲戦・奉天会戦などを指揮・勝利に導き、明治天皇の後を追って殉死した帝国陸軍軍人です。

名 前乃木 希典 (のぎ まれすけ)
別 名(幼名)乃木無人、(別名)乃木源三、乃木頼時、乃木文蔵
性 別男性
生没年1849年12月25日(嘉永2年11月11日)~1912年(大正元年)9月13日
出生地武蔵国江戸長府藩上屋敷(現:東京都港区六本木)
没 地自宅(現:乃木公園(東京都港区赤坂八丁目11番32号))
時 代江戸明治大正
父 親乃木希次
母 親乃木壽子
配偶者乃木静子
子 供乃木勝典、乃木保典、乃木恒子、乃木直典
家 族
備 考

略年表

 乃木希典の人生について、簡単に分かりやすくした略年表です。

年齢出来事
1849年(嘉永2年)1歳生誕
1864年(元治元年)16歳玉木文之進に弟子入り
1865年(慶応元年)17歳第二次長州征討
1872年(明治5年)24歳陸軍少佐任官
1877年(明治10年)29歳西南戦争への従軍
1878年(明治11年)30歳お七と結婚
1887年(明治20年)39歳ドイツ留学
1894年(明治27年)46歳日清戦争出征
1896年(明治29年)48歳台湾総督就任
1904年(明治37年)56歳日露戦争出征
1907年(明治40年)59歳学習院長就任
1912年(大正元年)64歳殉死
(※)年齢は、満年齢ではなく数え年です。

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