概要
大川周明は、五・一五月事件など昭和初期のテロ事件に関わり、民間人で唯一、A級戦犯の判決を受けた学者・思想家です。
名 前 | 大川 周明 (おおかわ しゅうめい) |
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性 別 | 男性 |
生没年 | 1886年(明治19年)12月6日~1957年(昭和32年)12月24日 |
出生地 | 山形県飽海郡荒瀬郷藤塚村(現:山形県酒田市) |
没 地 | |
時 代 | 明治大正昭和 |
父 親 | 大川周賢 |
母 親 | 多代女 |
配偶者 | |
子 供 | |
家 族 | |
備 考 |
内容
大川周明は、戦前の学者・思想家である。
東京帝国大学卒業後、評論家や学者として活動していたが、徐々に政治活動家として関与していくことになる。
昭和初期に多くあった要人の暗殺事件などについて、右翼主義者や陸軍軍人と繋がり、三月事件や十月事件に関与したりし、最終的には、五・十五事件で逮捕される。ただ、当時の認識としては、犯罪者というよりも、財閥など一部の既得権者に対する国士という認識もあった。釈放後は、出版した本がベストセラーになったり、大川塾の開設などを行い、諜報活動を行う人材育成などに携わる。
日本が太平洋戦争に負けると、民間人としてはただ一人、A級戦犯として逮捕される。しかし、梅毒により精神障害となり、東京裁判で東条英機の頭を叩くなど、奇矯を行い入院、不起訴処分となる。
その後は、農村振興活動などを行い、1957年(昭和32年)に死去。
年表
大川周明に関する年表・年譜です。
年 | 年齢 | 出来事 |
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1886年(明治19年) | 0歳 | 村医者・大川周賢の長男として、山形県飽海郡荒瀬郷藤塚村で生まれる。 |
1904年(明治37年) | 18歳 | 3月 荘内中学校卒業 |
1906年(明治39年) | 20歳 | 10月 栗野事件 |
1907年(明治40年) | 21歳 |
7月 第五高等学校卒業 年末より、ノイローゼ・肺結核治療のため伊豆大島にて静養(~1908年(明治41年)4月) |
1910年(明治43年) | 24歳 | 7月 日本教会に入会 |
1911年(明治44年) | 25歳 | 7月 東京帝国大学文科大学卒業(宗教学専攻) |
1914年(大正3年) | 27歳 |
2月 『宗教の本質』(翻訳) 5月 父・周賢死去 11月 『エミール』(翻訳) |
1915年(大正4年) | 28歳 |
秋頃、インド人革命家グプタと出会う。 11月 インド人主催御大典祝賀会開催に協力 |
1916年(大正5年) | 29歳 |
2月 国外退去を命じられたグプタを匿う(~4月) 10月 フランスの詩人ポール・リシャールと出会う 11月 『印度に於ける国民的運動の現状及び其の由来』 |
1917年(大正6年) | 30歳 |
この年、全亜細亜会を結成、代表となる 7月 『国際間に於ける日本の孤立』(翻訳)、『告日本国』(翻訳) |
1918年(大正7年) | 31歳 |
5月 満鉄亜細亜経済調査局に嘱託として採用される 10月 老壮会結成 |
1919年(大正8年) | 32歳 |
2月 人種的差別撤廃期成会運動の実行委員となる 2月 リシャール夫妻と同居(~1920年) 8月 猶存社結成 8月 北一輝を訪問 9月 満鉄職員となる 11月 東亜経済調査局編輯課長 |
1920年(大正9年) | 33歳 |
4月 拓殖大学教授を兼任 12月 日印協会から退会 |
1928年(昭和3年) | 41歳 | 9月 張学良と会見 |
1929年(昭和4年) | 42歳 | 7月 (財)東亜経済調査局理事長となる |
1931年(昭和6年) | 44歳 |
3月 三月事件 10月 十月事件 |
1932年(昭和7年) | 45歳 |
2月 神武会結成 6月 逮捕 |
1934年(昭和9年) | 47歳 |
2月 東京地方裁判所判決で懲役15年 11月9日 東京控訴院判決で禁錮7年 11月12日 保釈 |
1935年(昭和10年) | 48歳 |
2月 神武会解散 6月 『佐藤信淵集』 10月 大審院宣告で禁錮5年 |
1936年(昭和11年) | 49歳 | 6月 下獄 |
1937年(昭和12年) | 50歳 | 10月 仮出所が許される |
1938年(昭和13年) | 51歳 |
4月 法政大学大陸部長となる 5月 東亜経済調査局付属研究所(大川塾)を開設し、所長となる |
1939年(昭和14年) | 52歳 | 7月 『日本二千六百年史』(ベストセラーになるが、記述が問題となる) |
1941年(昭和16年) | 54歳 | 12月 太平洋戦争開戦 |
1945年(昭和20年) | 58歳 |
8月 太平洋戦争敗戦 12月 A級戦犯容疑で逮捕 |
1946年(昭和21年) | 59歳 |
5月 精神障害のため入院 12月 母・多代女死去 |
1947年(昭和22年) | 60歳 | 3月 病状が快方に向かい、コーラン翻訳を始める |
1948年(昭和23年) | 61歳 |
12月24日 不起訴処分となる 12月30日 退院 |
1957年(昭和32年) | 69歳 | 12月 自宅にて死去 |
著書
大川周明による著書・著作です。
大川周明『印度に於ける国民的運動の現状及び其の由来』
大川周明『宗教原理講和』
大川周明『日本文明史』
大川周明『復興亜細亜の諸問題』
大川周明『復興印度の精神的根拠』
大川周明『亜細亜、欧羅巴、日本』
大川周明『日本及日本人之道―大和民族読本』
大川周明『道―大川周明道徳哲学講話集』
大川周明『特許植民会社制度研究―大航海時代から二十世紀まで』
大川周明『清河八郎』
大川周明『日本精神研究』
大川周明『国史概論』
大川周明『日本的言行』
大川周明『国史読本』
大川周明『佐藤信淵集』
大川周明『日本二千六百年史 増補版』
大川周明『亜細亜建設省』
大川周明『近代欧羅巴植民史』
大川周明『米英亜細亜侵略史』
大川周明『回教概論』
大川周明『大亜細亜秩序建設』
大川周明『佐藤雄能先生伝』
大川周明『新亜細亜小論』
大川周明『新東洋精神』
大川周明『安楽の門』
大川周明『日本文明概説』
大川周明『頭山満と近代日本』
大川周明『大川周明「獄中」日記―米英東亜侵略史の底流>』
大川周明『敗戦後―大川周明戦後文集』
大川周明『大川周明世界宗教思想史論集』
文献
大川周明に関する文献・著書です。
大塚健洋『大川周明 ある復古革新主義者の思想』
大塚健洋『大川周明と近代日本』
佐藤優『日米開戦の真実』
関岡英之『大川周明の大アジア主義』
塩出浩之『岡倉天心と大川周明―「アジア」を考えた知識人たち』
玉居子精宏『大川周明 アジア独立の夢』
左山貞雄『大川周明博士その思想』
野島嘉晌『大川周明』
柳沢一二『私の戦後―大川周明博士と共に』
冨樫富『わが大川周明論―回帰への遍歴』
原田幸吉『大川周明博士の生涯』
臼杵陽『大川周明 イスラームと天皇のはざまで』
ゆかりの地・施設
大川周明に関する施設・ゆかりの地です。
名称 | 住所 | 備考 |
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瀧泉寺(目黒不動尊) | 東京都目黒区下目黒3丁目20−26 | 大川周明の墓がある |
光丘文庫 | 山形県酒田市日吉町2丁目7−71 | 大川周明の蔵書(大川文庫)や大川周明に関する書籍も保存。また近くには、大川周明顕彰碑がある |
東池袋中央公園 | 東京都豊島区東池袋3丁目1 | 大川周明が拘置されていた巣鴨プリズンの石碑が立っている |
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