概要
大内政宏は、応仁の乱には西軍側の主力として参戦するとともに、貿易・文化振興に力を入れ後に山口が西の京と呼ばれる基礎を築いた守護大名です。
名 前 | 大内 政宏 (おおうち まさひろ) |
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性 別 | 男性 |
生没年 | 1446年9月18日(文安3年8月27日)~1495年10月6日(明応4年9月18日) |
出生地 | 周防国(現:山口県) |
没 地 | |
時 代 | 室町戦国 |
父 親 | 大内教弘 |
母 親 | 山名宗全の養女 |
配偶者 | |
子 供 | 新介某、大内義興、大内高弘、大友義右室、梵良彦明、宗像大宮司室、吉見隆頼室 |
家 族 | |
備 考 |
略年表
大内政宏の人生について、簡単に分かりやすくした略年表です。
年 | 年齢 | 出来事 |
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1446年(文安3年) | 1歳 | 生誕 |
1465年(寛正6年) | 20歳 | 家督継承 |
1467年(文正2年/応仁元年) | 22歳 | 応仁の乱 |
1470年(文明2年) | 25歳 | 大内道頓の乱 |
1477年(文明9年) | 32歳 | 応仁の乱が収束し、帰国 |
1480年(文明12年) | 35歳 | 幕府相伴衆となる |
1491年(延徳3年) | 46歳 | 将軍・足利義稙に従い再度の六角高頼討伐に従軍 |
1494年(明応3年) | 49歳 | 中風悪化で、大内義興に家督を譲って隠居 |
1495年(明応4年) | 50歳 | 病死 |
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