平清盛

概要

 平清盛は、武士としては初めて太政大臣に任せられ、日本初の武家政権を打ち立てた武将です。

名 前平 清盛 (たいらのきよもり)
性 別男性
生没年1118年(永久6年)~1181年(治承5年閏2月4日)
出生地京(現:京都府京都市)
没 地平盛国邸(現:平清盛の終焉推定地碑(京都府京都市下京区東之町))
墓 所
時 代平安
父 親平忠盛
母 親白河院女房、(継母)池禅尼
配偶者(正室)高階基章の娘、(継室)平時子、(側室)厳島内侍
子 供平重盛平基盛平宗盛、平知盛、平徳子、平盛子、 平重衡、平維俊、平知度、平清房、平完子、御子姫君 他
家 族
備 考

内容

 平安時代末期の武将・公家である。
 伊勢平氏の嫡流として生まれ、保元の乱、平治の乱で勝利を治め、武家では初めて太政大臣に就任し、権勢を誇る。しかし晩年には、以仁王の乱や源頼朝の挙兵などで、平氏は危機的な状況に陥り、その最中、死去する。
 平清盛自身は将軍にはならず、摂関政治と同様の手法で天皇の外戚として、大きな力を持とうとしたが、これ以降続く武家政権の端緒を作ったと言われている。


年表

平清盛に関する年表・年譜です。

年齢出来事
1118年
(元永元年)
1歳1月18日 伊勢平氏棟梁・平忠盛の長子として、生まれる。
1129年
(大治4年)
12歳 1月6日 従五位下に叙される。
1月24日 左兵衛佐に任じられる。
1137年
(保延3年)
20歳1月30日 肥後守に任じられる。
1147年
(久安3年)
30歳 6月14日 祇園社闘乱事件
7月27日 祇園社闘乱事件で、贖銅刑を科される。
1151年
(仁平元年)
34歳2月2日 安芸守に任じられる。
1153年
(仁平3年)
36歳1月15日 父・忠盛が死去。
1156年
(保元元年)
39歳7月11日 保元の乱で勝利し、播磨守に任じられる
1158年
(保元3年)
41歳8月10日 太宰大弐に任じられる
1159年
(平治元年)
42歳 12月9日 藤原信頼・信頼に同心した武将らの軍勢が三条殿で襲撃(平治の乱)
12月17日 熊野詣より六波羅に戻る
12月27日 六波羅合戦(源義朝との合戦に勝利)
1160年
(永暦元年)
43歳 3月11日 源頼朝が伊豆に配流
6月20日 正三位に叙される。
8月11日 参議に任じられる。
9月2日 右衛門督に任じられる。
1161年
(応保元年)
44歳 1月23日 検非違使別当に任じられる。
9月13日 中納言に任じられる
1164年
(長寛2年)
47歳 4月 藤原基実を娘婿とする。
9月 厳島社に経巻を奉納
1165年
(永万元年)
48歳 1月23日 兵部卿に任じられる。
8月17日 権大納言に任じられる。
1166年
(仁安元年)
49歳 10月10日 東宮大夫に任じられる。
11月11日 内大臣に任じられる。
1167年
(仁安2年)
50歳 2月11日 従一位太政大臣となる。
5月17日 太政大臣を辞す。
1168年
(仁安3年)
51歳 2月 病魔に襲われる
2月11日 出家し清蓮を法名とする(のちに静海)
2月19日 六条天皇が高倉天皇に譲位
1170年
(嘉応2年)
53歳 7月3日 殿下乗合事件
1171年
(承安元年)
54歳 12月14日 娘・徳子が高倉天皇に入内
1177年
(治承元年)
60歳 3月22日 延暦寺衆徒が加賀国司を訴える
6月1日 鹿ヶ谷の謀議が露見(鹿ヶ谷事件)
1179年
(治承3年)
62歳 11月14日 平清盛が軍勢を率い、福原から上洛(治承三年の政変)
11月15日 後白河上皇が院政を停止
11月17日 院近臣を解官
11月19日 後白河上皇を鳥羽殿に幽閉
1180年
(治承4年)
63歳 2月21日 高倉天皇が安徳天皇に譲位(院政を開始)
5月15日 以仁王の乱
6月2日 福原遷都
8月17日 源頼朝が伊豆で挙兵
9月5日 源頼朝追討宣旨を受ける
10月20日 富士川の戦い
11月23日 福原より還都
12月25日 平氏軍が南都を攻撃
1181年
(治承5年)
64歳 1月14日 高倉上皇死去
閏2月4日 平清盛死去
(※)年齢は、満年齢ではなく数え年です。


文献

平清盛に関する文献・著書です。

  五味文彦『平清盛

  高橋昌明『平清盛 福原の夢

  元木泰雄『平清盛の闘い 幻の中世国家

  上杉和彦『平清盛―「武家の世」を切り開いた政治家

ドラマ・映画

 平清盛を扱ったドラマ・映画です。

  松山ケンイチ主演『大河ドラマ 平清盛

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