概要
高橋是清は、大蔵大臣として昭和金融恐慌の鎮静化や、金解禁によるデフレの脱却などを行った政治家・官僚です。
名 前 | 高橋 是清 (たかはし これきよ) |
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性 別 | 男性 |
生没年 | 1854年9月19日(嘉永7年閏7月27日)~1936年(昭和11年)2月26日 |
出生地 | 江戸芝中門前町(現:東京都港区) |
没 地 | 自宅・高橋是清邸(現:東京都港区赤坂7丁目3-39) |
時 代 | 江戸明治大正昭和 |
父 親 | 川村庄右衛門 |
母 親 | きん |
配偶者 | (先妻)高橋里ゆう、(後妻)高橋品子 |
子 供 | 高橋是賢、高橋是福、大久保和喜子 |
家 族 | |
備 考 | 高橋内閣 |
内容
若い頃は、アメリカで奉公人として売られたり、ペルーで銀鉱事業に失敗するなど苦労しますが、日本銀行に入行後、日露戦争にあっては戦費調達に尽力するなど、裏方として日露戦争勝利に貢献します。その後、日銀総裁や内閣総理大臣などを歴任。
1927年(昭和2年)の昭和金融恐慌で、田中義一首相に乞われ、蔵相に就任し、モラトリアムの実施など昭和恐慌の終息に尽力。また、金解禁に向けたデフレ政策で昭和不況が起こる中、犬養毅首相に乞われ、再び蔵相となり、金輸出再禁止や日銀引受による財政支出で、デフレ経済を復活させました。
五・一五事件で犬養毅が死去した後も、斉藤内閣や岡田内閣でも蔵相を歴任しますが、1936年(昭和11年)の二・二六事件で青年将校に撃たれ、亡くなります。
年表
高橋是清に関する年表・年譜です。
年 | 年齢 | 出来事 |
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1854年(嘉永7年) | 0歳 | 江戸芝中門前町(現東京都港区)で、幕府絵師・川村庄右衛門の私生児として生まれる。その後、仙台藩足軽の高橋家に養子となる |
1864年(元治元年) | 10歳 | 横浜のヘボン夫人家塾で学ぶ。 |
1867年(慶応3年) | 13歳 | 渡米するが、オークランドのブラウン家に売られる |
1868年(明治元年) | 14歳 | 12月 帰国し、森有礼の書生となる。 |
1869年(明治2年) | 15歳 |
1月 大学南校入学 3月 大学南校教官三等手伝 中頃 フルベッキの家に書生として移り住む |
1870年(明治3年) | 16歳 | 2月 大学小教授(~1871年(明治4年)3月) |
1871年(明治4年) | 17歳 | 6月 唐津藩英学教師(~1872年(明治5年)10月) |
1873年(明治6年) | 19歳 | 7月 文部省督学局十等出仕 |
1876年(明治9年) | 22歳 | 5月 東京英語学校教員(~1877年(明治10年)3月) |
1878年(明治9年) | 24歳 | 9月 大学予備門英語学校教員(~1881年(明治14年)6月) |
1881年(明治14年) | 27歳 |
4月 文部省御用掛・地方学務局 5月 農商務省工務局雇 12月 農商務省御用掛 |
1882年(明治15年) | 28歳 | 1月 調査課長 |
1884年(明治17年) | 30歳 |
6月 調査課長兼商標登録所長 7月 農商務権少書記官・商標登録所長 |
1885年(明治18年) | 31歳 |
4月 兼専売特許所長 11月 農商務少書記官(~1886年(明治19年)11月まで欧米各国出張) |
1886年(明治19年) | 32歳 |
3月 専売特許局長 4月 専売特許局次長 |
1887年(明治20年) | 33歳 | 12月 特許局長 |
1889年(明治22年) | 35歳 |
3月 兼東京農林学校長 11月 官僚を辞め、銀鉱事業のためペルー渡航 |
1890年(明治23年) | 36歳 | 鉱山が廃坑であることが分かり、帰国 |
1892年(明治25年) | 38歳 | 6月 日本銀行建築所事務主任 |
1893年(明治26年) | 39歳 | 9月 日本銀行支配役・西部支店長 |
1895年(明治28年) | 41歳 | 8月 横浜正金銀行本店支配人 |
1896年(明治29年) | 42歳 | 3月 横浜正金銀行取締役 |
1897年(明治30年) | 43歳 | 4月 横浜正金銀行副頭取 |
1898年(明治31年) | 44歳 | 2月 英米出張(~9月) |
1899年(明治32年) | 45歳 | 2月 日本銀行副総裁(1911年(明治44年)6月) |
1904年(明治37年) | 50歳 | 2月 日露戦争が始まり渡米英し、戦時公債を募集し、戦費の調達を行う(~1905年(明治38年)1月) |
1905年(明治38年) | 51歳 |
1月 貴族院勅選議員勅任 2月 帝国政府特派財務委員・英国駐在(戦時公債募集のため再渡英) |
1906年(明治39年) | 52歳 | 3月 兼横浜正金銀行頭取 |
1907年(明治40年) | 53歳 | 9月 男爵 |
1911年(明治44年) | 57歳 | 6月 日本銀行総裁 |
1914年(大正3年) | 60歳 | 2月 政友会に入党し、第1次山本内閣で大蔵大臣に就任 |
1918年(大正7年) | 64歳 | 9月 原内閣で大蔵大臣に就任(2度目) |
1920年(大正9年) | 66歳 | 9月 子爵 |
1921年(大正10年) | 67歳 | 11月 原敬暗殺で、内閣総理大臣・政友会総裁となる(大蔵大臣も兼任(3度目)) |
1922年(大正11年) | 68歳 | 6月 高橋内閣総辞職 |
1924年(大正13年) | 69歳 |
5月 貴族院議員を辞職し、衆議院議員選挙に立候補し当選する 6月 加藤内閣の農商務大臣に就任 |
1925年(大正14年) | 70歳 |
4月 農商務省廃止により、商工大臣兼農林大臣に就任 4月 政友党総裁交代 |
1927年(昭和2年) | 72歳 | 4月 昭和金融恐慌が起こり、田中内閣の大蔵大臣に就任(3度目) |
1931年(昭和6年) | 76歳 | 12月 犬養内閣の大蔵大臣に就任(4度目) |
1934年(昭和9年) | 79歳 | 12月 岡田内閣の大蔵大臣に就任(5度目) |
1936年(昭和11年) | 81歳 | 二・二六事件で死去 |
著書
高橋是清による著書・著作です。
高橋是清『経済論』
高橋是清『国策運用の書』
高橋是清『高橋是清自伝(上) 』
高橋是清『高橋是清自伝(下)』
高橋是清『随想録』
文献
高橋是清に関する文献・著書です。
麻生大作編『高橋是清伝』
大石亨『大蔵大臣 高橋是清』
大島清『高橋是清―財政家の数奇な生涯』
北脇洋子『棺を蓋いて事定まる―高橋是清とその時代』
松元崇『大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清』
木村昌人『高橋是清と昭和恐慌』
後藤新一『高橋是清―日本の“ケインズ”』
津島寿一「高橋是清翁のこと」
藤村欣市朗『高橋是清と国際金融』
御厨貴監修『高橋是清』
リチャード・J・スメサースト『高橋是清 ―日本のケインズ その生涯と思想』
ドラマ
高橋是清を主人公としたドラマです。
オダギリジョー主演『経世済民の男 高橋是清』
ゆかりの地・施設
高橋是清に関する施設やゆかりの地です。
名称 | 住所 | 備考 |
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高橋是清翁記念公園 | 東京都港区赤坂7丁目3−39 | 高橋是清邸宅跡 |
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