東条英機

概要

 東条英機は、太平洋戦争を開戦した首相・帝国陸軍軍人です。

名 前東条 英機 (とうじょう ひでき)
別 名(旧字体)東條英機
性 別男性
生没年1884年(明治17年)7月30日~1948年(昭和23年)12月23日
出生地東京府麹町区(現:東京都千代田区)
没 地
時 代明治大正昭和
父 親東条英教
母 親東条千歳
配偶者東条かつ子
子 供(長男)東条英隆、(次男)東条輝雄、(三男)東条敏夫、(長女)杉山光枝、(次女)東条満喜枝、(三女)鷹森幸枝、(四女)キミエ・ギルバートソン
家 族
備 考東条内閣

  

内容

 昭和時代の陸軍軍人・内閣総理大臣である。
 陸軍士官学校・陸軍大学を卒業し、エリートとして陸軍に入隊する。入隊後は、スイスやドイツに駐在するなどしていたが、昭和になり、陸軍の統制派の中心人物の一人となる。その後、出世を続け、陸軍次官や陸軍大臣などに就任。
 その後、南部仏印進駐などで日米関係が緊迫化する中、総理大臣に就任し、太平洋戦争開戦を行う。
 しかし、戦局が悪化し、総理大臣を辞職。戦後は、極東軍事裁判にて、死刑判決を受け、1948年に処刑される。


年表

東条英機に関する年表・年譜です。

年齢出来事
1884年
(明治17年)
0歳12月30日 陸軍中尉・東条英教の三男として、東京に生まれる。
1899年
(明治32年)
15歳9月1日 陸軍東京幼年学校入学
1902年
(明治35年)
18歳9月 陸軍中央幼年学校入学
1905年
(明治38年)
21歳 3月30日 陸軍士官学校卒業
4月21日 陸軍少尉任官
1912年
(大正元年)
28歳12月 陸軍大学校入学
1915年
(大正4年)
31歳12月 陸軍大学校卒業
1916年
(大正5年)
32歳6月 陸軍省副官
1919年
(大正8年)
35歳8月 スイス駐在
1921年
(大正10年)
37歳7月 ドイツ駐在
1922年
(大正11年)
38歳 11月 帰朝
11月28日 陸軍大学校教官
1928年
(昭和3年)
44歳3月8日 陸軍省整備局動員課長
1929年
(昭和4年)
45歳8月1日 歩兵第一連隊長
1931年
(昭和6年)
47歳8月1日 参謀本部編制動員課長
1933年
(昭和8年)
49歳8月1日 軍事調査委員長
1934年
(昭和9年)
50歳 3月5日 陸軍士官学校幹事
8月1日 歩兵第24旅団長
1935年
(昭和10年)
51歳9月21日 関東憲兵隊司令官兼関東局警務部長
1936年
(昭和11年)
52歳2月26日 二・二六事件
1937年
(昭和12年)
53歳 3月1日 関東軍参謀長
7月7日 日中戦争勃発
1938年
(昭和13年)
54歳 5月30日 陸軍次官
6月8日 航空総監兼航空本部長兼任
12月10日 航空総監兼航空本部長専任
1940年
(昭和15年)
56歳 7月22日 陸軍大臣
1941年
(昭和16年)
57歳 1月1日 東条陸相が「戦陣訓」示達
10月18日 総理大臣兼陸軍大臣兼内部大臣
1943年
(昭和18年)
59歳 11月1日 兼軍需大臣
1944年
(昭和19年)
60歳 2月21日 兼参謀総長
7月22日 総理大臣等を辞職(予備役となる)
1945年
(昭和20年)
61歳 8月15日 太平洋戦争敗戦
9月11日 自殺未遂
1946年
(昭和21年)
62歳 5月3日 東京国際軍事裁判開廷(A級戦犯として起訴される)
8月15日 太平洋戦争敗戦
1948年
(昭和23年)
64歳 11月12日 絞首刑判決
12月23日 刑死
1978年
(昭和53年)
10月17日 靖国神社に合祀


文献

東条英機に関する文献・著書です。

  古川隆久「東条英機―太平洋戦争を始めた軍人宰相


ドラマ・映画

 東條英機を扱ったドラマ・映画です。

  津川雅彦主演『プライド 運命の瞬間


ゆかりの地・施設

東条英機に関する施設・ゆかりの地です。

名称住所備考
雑司ヶ谷霊園東京都豊島区南池袋4丁目25東条英機の墓がある
東池袋中央公園東京都豊島区東池袋3丁目1東条英機が拘置されていた巣鴨プリズンの石碑が立っている
靖国神社東京都千代田区九段北3丁目3−1−1東条英機が合祀されている
殉国七士廟愛知県額田郡幸田町深溝小原A級戦犯で処刑された7人が祀られている

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