概要
徳川家康は、戦国時代を征し江戸幕府を開いた戦国大名・武将です。
名 前 | 徳川 家康 (とくがわ いえやす) |
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別 名 | (幼名)竹千代、松平元信、松平元康、松平家康 |
性 別 | 男性 |
生没年 | 1543年1月31日(天文11年12月26日)~1616年6月1日(元和2年4月17日) |
出生地 | 三河国岡崎城(現:愛知県岡崎市) |
没 地 | |
時 代 | 戦国安土桃山江戸 |
父 親 | 松平広忠 |
母 親 | 於大(伝通院) |
配偶者 | (正室)築山殿(清池院)、(継室)朝日姫(南明院)、(側室)下山殿(妙真院)、お万(養珠院)、小督局 於万の方(長勝院)、西郷局(竜泉院)、お竹(良雲院)、茶阿局(朝覚院)、お夏(清雲院)、お梶(英勝院)、お梅(蓮華院)、阿茶局(雲光院)、お牟須(正栄院)、お亀(相応院)、お仙(泰栄院)、お六(養儼院) 、西郡局(蓮葉院)、法光院、三条氏、 松平重吉の娘 |
子 供 | 松平信康、結城秀康、徳川秀忠、松平忠吉、武田信吉、松平忠輝、松平松千代、平岩仙千代、徳川義直、徳川頼宣、徳川頼房、亀姫、督姫、振姫、松姫、市姫 |
家 族 | |
備 考 |
内容
幼少の頃は、織田家や今川家の人質として過ごし、成人後は今川家の家臣として今川義元に仕えます。桶狭間の戦いで今川義元が死去すると、今川家からは独立。織田信長と同盟を結び、三河・遠江を支配します。本能寺の変で織田信長が死去すると、甲府などを治め、旧武田家家臣を多く召抱えました。その後、小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉と対峙するが和睦し、豊臣秀吉に仕えます。
しかし、豊臣秀吉が亡くなると、豊臣方の石田光成などと対立し、関ヶ原の戦いで勝利。征夷大将軍となり、江戸幕府を開きました。その後、将軍職を息子・秀忠に譲りますが、大御所として影響を持ち続け、大阪の陣を起こし、豊臣家を滅亡させます。
そしてその1年後、死去。
名言
徳川家康による名言・至言です。
一手の将たるものが、味方諸人のぼんのくぼばかりを見て居て合戦抔(など)に勝つものにてハなし
『駿河土産』権現様或時御軍法御噺之事
一軍の将である者は、味方の兵の頭の後ろを見ていては、合戦に勝てない。リーダーは、先頭に立って戦うべきであるという意味です。なお、「ぼんのくぼ」とは、頭と首の間のくぼんだところのことです。
天下は一人の天下に非ず。天下は天下の天下なり。
『徳川実記』
文献
徳川家康に関する文献・著書です。
藤井譲治『徳川家康』
小和田哲男『詳説図説 家康記』
本多隆成『定本 徳川家康』
小説
徳川家康に関する小説です。
降慶一郎『影武者徳川家康』
マンガ
徳川家康に関するマンガです。
横山光輝『徳川家康』
原哲夫『影武者 徳川家康』
参考
大隅和雄他『知っておきたい日本の名言・格言事典』
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