柳宗悦

概要

 柳宗悦は、民俗工芸に着目し、民藝運動を起こした思想家・美術評論家です。

名 前柳 宗悦 (やなぎ むねよし)
性 別男性
生没年1889年(明治22年)3月21日~1961年(昭和36年)5月3日
出生地東京府麻布区市兵衛町(現:東京都港区)
没 地
時 代明治大正昭和
父 親柳楢悦
母 親
配偶者中島兼子
子 供
家 族
備 考

内容

 柳宗悦は、明治~昭和時代の思想家・運動家である。
 学生時代に白樺派に参加し、哲学や宗教について研究していたが、その後、美術に傾倒し、民芸運動を起こしていく。
 その活動は言論活動のみならず、日本民芸協会の発足や民芸館設立などを行ったり、沖縄では言論論争を行うなど、活動家という側面も有していた。


年表

柳宗悦に関する年表・年譜です。

年齢出来事
1889年
(明治22年)
0歳3月21日 海軍少将・柳楢悦の三男として、東京で生まれる。
1891年
(明治24年)
2歳1月14日 父・楢悦死去
1895年
(明治28年)
6歳9月 学習院初等学科入学
1901年
(明治34年)
12歳9月 学習院中等学科に進学
1907年
(明治40年)
18歳4月 学習院高等学科に進学
1908年
(明治41年)
19歳6月 「聖なる勇士」を執筆
1910年
(明治43年)
21歳 3月 学習院高等学科卒業(銀時計授与)
4月 雑誌『白樺』創刊に参加
6月 『白樺』に「近世における基督教神学の特色」を寄稿
9月 東京帝国大学文科大学哲学科入学(心理学専攻)
1911年
(明治44年)
22歳10月 『科学と人生』(第1作)刊行
1913年
(大正2年)
24歳 7月 東京帝国大学卒業、徴兵不合格
8月 「生命の問題」執筆
12月 「哲学におけるテンペラメントについて」発表
1914年
(大正3年)
25歳 2月4日 中島兼子と結婚
9月 我孫子に転居
12月 『ウィリアム・ブレイク』刊行
1916年
(大正5年)
26歳 8月 初めて朝鮮と中国を旅行(~10月)
1919年
(大正8年)
30歳 2月 『宗教とその真理』刊行
4月 東洋大学宗教科教授に就任(~大正12年)
5月20日 「朝鮮人を想う」(『読売新聞』)発表(~24日)
1920年
(大正9年)
31歳 2月 朝鮮人留学生・南宮璧が柳邸訪問
5月 妻・兼子とともに朝鮮に訪問し、講演会・音楽会開催
6月 「朝鮮の友に贈る書」(『改造』)発表
12月 「赤化について」(『改造』)発表
1921年
(大正10年)
32歳 1月 「陶磁器の美」発表
1月 『宗教的奇蹟』刊行
1月 「『朝鮮民族美術館』の設立について」発表
5月 神田流逸荘で朝鮮民族美術展覧会開催
1922年
(大正11年)
33歳 9月 「失われんとする一朝鮮建築のために」(『改造』)発表
9月 『朝鮮とその芸術』刊行
11月 『宗教の理解』刊行
1923年
(大正12年)
34歳 7月 『神について』刊行
9月 関東大震災で、長兄・悦多死去
9月 『白樺』終刊
1924年
(大正13年)
35歳 1月 甲府で木喰仏を発見
4月 朝鮮民族美術館を京城(現:ソウル)に開設
4月 京都に転居
1925年
(大正14年)
36歳 5月 同志社女学校専門部教授に就任(~昭和4年)
12月 「民芸」(民衆的工芸の略)という言葉を河井寛次郎・浜田庄司とともに造語
1926年
(大正15年
/昭和元年)
37歳 4月 『日本民芸美術館設立趣意書』配布(民芸運動開始)
9月 「下手ものの美」(のち「雑器の美」と改題)発表
1927年
(昭和2年)
38歳 2月 「工芸の協団に関する一提案」執筆・頒布
3月 京都上加茂で民芸協団(ギルド)発足(~昭和4年10月解散)
1928年
(昭和3年)
39歳 3月 御大礼記念国産振興博覧会に「民芸館」出品
4月 妻・兼子が音楽修行のためドイツへ(~12月帰国)
12月 『工芸の道』刊行
1929年
(昭和4年)
40歳 4月 シベリア鉄道で欧州へ旅立つ
8月 米国に渡る
10月~ ハーバード大学で「美術にあらわれた大乗仏教の精神」「日本における美の標準」を講義
1930年
(昭和5年)
41歳 7月 米国より帰国
1931年
(昭和6年)
42歳 1月 『工芸』『ブレイクとホイットマン』創刊
1932年
(昭和7年)
43歳 6月 鳥取に民芸店「たくみ」開店
1933年
(昭和8年)
44歳 5月 東京へ転居し、専修大学教授に就任(~昭和19年)
6月 ハワイ大学で「東洋宗教と芸術」を講義(~8月)
12月 銀座に「たくみ」開店
1934年
(昭和9年)
45歳 6月 日本民芸協会を設立(会長に就任)
1935年
(昭和10年)
46歳 3月 「復古主義について」発表
5月 大原孫三郎から民芸館建設資金を寄贈される
10月 民芸館建設工事開始
1936年
(昭和11年)
47歳 5月 民芸館蔵品収集のため、朝鮮・満州を旅行
10月 日本民芸館を開館(館長に就任)
1938年
(昭和13年)
49歳 12月 初めての沖縄報恩(~1月帰宅)
1939年
(昭和14年)
50歳 3月 2度目の沖縄訪問(~4月)
4月 沖縄県庁が全県的な標準語励行運動に着手
12月 3度目の沖縄訪問(~1月)(言語論争本格化)
1940年
(昭和15年)
51歳 3月 「沖縄人に訴うるの書」発表
7月 4度目の沖縄訪問(~8月)(県庁で県知事と会見)
9月 日本民芸協会による「新体制の手工芸文化組織に対する提案」
10月 北京・京城訪問
1941年
(昭和16年)
52歳 9月 アイヌ民芸品展開催
12月 「アイヌへの見方」発表
1942年
(昭和17年)
53歳 1月 「民芸と東北」発表
1月 『工芸文化』刊行
3月 「アイヌ人に送る書」発表
1943年
(昭和18年)
54歳 3月 台湾へ生活工芸調査の旅行
6月 台湾の布の展覧会開催
1944年
(昭和19年)
55歳 1月 民芸館で「日満支の現在民芸展」開催
1945年
(昭和20年)
56歳 9月 同心会が結成され、メンバーとなる
1946年
(昭和21年)
57歳 2月 文部省教育顧問・日米教育委員就任
1947年
(昭和22年)
58歳 7月末~ 鈴木大拙と共に北陸地方を講演旅行
1948年
(昭和23年)
59歳 3月 松ヶ岡文庫理事長就任
6月 『手仕事の日本』刊行
8月 「美の法門」執筆
11月 第2回日本民芸協会全国協議会で「美の法門」を講演
1949年
(昭和24年)
60歳 3月 『美の法門』(私家版)上梓
7月下旬~ 鳥取の願生寺で妙好人源左の調査に従事
1950年
(昭和25年)
61歳 3月 「『』の病い」発表
9月 『妙好人 因幡の源左』刊行
1951年
(昭和26年)
62歳 8月 「南無阿弥陀仏」(『大法輪』)を連載開始
1952年
(昭和27年)
63歳 5月 毎日新聞社文化使節として、欧米を訪問(~昭和28年2月)
1955年
(昭和30年)
66歳 12月 民芸館で斬新な会を試みる
1956年
(昭和31年)
67歳 年末 病床に就く
1957年
(昭和32年)
68歳 10月 『無有好醜の願』(私家本)上梓
11月 文化功労者に顕彰
1958年
(昭和33年)
69歳 7月 『民芸四十年』刊行
1960年
(昭和35年)
71歳 1月 朝日賞受賞
1961年
(昭和36年)
72歳 4月 「無対辞文化」(『心』)発表
5月3日 死去
1984年
(昭和59年)
9月 韓国より宝冠文化勲章を授与


名言

柳宗悦による名言・至言です。

手が機械と異る点は、それがいつも直接に心と繋がれていることであります。

『手仕事の日本』


著書

柳宗悦による著書・著作です。

  「柳宗悦全集


文献

柳宗悦に関する文献・著書です。

  鶴見俊輔「柳宗悦

  水尾比呂志「評伝 柳宗悦

  中見真理「柳宗悦―時代と思想

  熊倉功夫・吉田憲司編「柳宗悦と民芸運動

  松井健「柳宗悦と民芸の現在

  土田真紀「さまよえる工藝―柳宗悦と近代

  竹中均「柳宗悦・民藝・社会理論

  岡村吉右衛門「柳宗悦と初期民芸運動

  韓永大「柳宗悦と朝鮮

  中見真理「柳宗悦――「複合の美」の思想


ゆかりの地・施設

柳宗悦に関する施設・ゆかりの地です。

名称住所備考
日本民藝館東京都目黒区駒場4丁目3−33
銀座たくみ東京都中央区銀座8丁目4−2柳宗悦が日本民藝館に先駆けて作った民芸店
柳宗悦邸跡(三樹荘)千葉県我孫子市緑1丁目ただし、個人宅
鳥取民藝美術館 ・たくみ工藝店鳥取県鳥取市栄町651柳宗悦の思想に感銘を受け、設立された日本初の民芸店
出西窯鳥取県鳥取市栄町651柳宗悦が何度も来訪し、子・柳宗理がディレクションした工房

参考

  大隅和雄他「知っておきたい日本の名言・格言事典

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