福岡県の武将・武士

概要

 福岡県で生まれたり、福岡県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

  福岡県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「福岡県の人物」をご覧ください。

一覧

名前出没年出身地概要
ゆかり

たちばなむねしげ

立花宗茂
1567年~1643年大分県
豊後高田市
大名武将

関ケ原の戦で西軍に加わり敗れ、改易となるが、その後、旧領を回復した名将・大名

ゆかり

たなかよしまさ

田中吉政
1548年~1609年滋賀県
高島市
大名武将藩主

豊臣秀吉徳川家康に仕え、石田三成を捕えるなどし功を上げ、岡崎城主・柳川城主などとなった戦国大名・武将

ゆかり

たにもりとも

谷衛友
1563年~1628年岐阜県
大名武将

羽柴秀吉の家臣で、秀吉の主なる合戦のほとんど参加し、後に徳川家に仕え、丹波国山家藩の初代藩主となった戦国大名・武将

出身者

はらだたかたね

原田隆種
不明~不明福岡県
武将

大内氏の家臣で、大内氏が没落後も毛利氏と通じ、北九州で大友氏と争った戦国武将

出身者

ひらのくにおみ

平野国臣
1828年~1864年福岡県
福岡市
藩士志士

九州有志と挙兵をはかるが寺田屋騒動で失敗、但馬国生野で挙兵するがまたも失敗、禁門の変の際に殺害された福岡藩士・志士

ゆかり

ほそかわただとし

細川忠利
1586年~1641年京都府
大名武将藩主

江戸時代初期に、小倉藩主であったが、熊本に加増移封され、島原の乱で武功を挙げた熊本藩初代藩主

出身者

まきいずみ

真木和泉
1813年~1864年福岡県
久留米市
藩士神職

久留米・水天宮の神官であったが、尊王攘夷派として活動し禁門の変で敗れ、爆死自害した幕末志士

ゆかり

まつのしげもと

松野重元
不明~1655年不明
武将

関ヶ原の戦いで、主君・小早川秀秋が西軍から東軍に寝返ろうとしたのを諫め、戦場を離脱した戦国武将

出身者

みやざきしゃのすけ

宮崎車之助
1839年~1876年福岡県
藩士

明治時代初期に、神風連の乱に呼応し、磯淳・今村百八郎・益田静方などと秋月の乱を起こした士族・藩士

ゆかり

もりたへい

母里太兵衛
1556年~1615年兵庫県
武将

黒田官兵衛黒田長政の家臣であり、剛力の勇将として知られ、民謡「黒田節」のモデルとなった武将

出身者

やすかわけいいちろう

安川敬一郎
1849年~1934年福岡県
福岡市
実業家議員藩士

炭鉱で財を成した筑豊御三家の一つである「安川財閥」を創始した戦前の実業家・政治家


 他の都道府県の出身者・ゆかりのある人物については、「人物の都道府県一覧」をご覧ください。

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