福島県の武将・武士

概要

 福島県で生まれたり、福島県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

  福島県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「福島県の人物」をご覧ください。

一覧

名前出没年出身地概要
出身者

あしなもりうじ

蘆名盛氏
1521年~1580年福島県
大名武将

会津地方を制圧し、仙道(中通り)や越後蒲原郡なども支配し、蘆名氏の最盛期を築いた戦国大名

出身者

あしなもりおき

蘆名盛興
1547年~1574年福島県
大名武将

蘆名盛氏の嫡男で、蘆名氏第17代当主となるが若くして亡くなった戦国大名

出身者

あしなもりたか

蘆名盛隆
1561年~1584年福島県
大名武将

二階堂盛義の長男で、蘆名氏の人質であったが、蘆名盛氏の死で実権を握り、最後は家臣に殺害された戦国大名

ゆかり

あしなよしひろ

蘆名義広
1575年~1631年茨城県
大名武将

佐竹義重の次男で蘆名盛隆の養子となり、蘆名氏当主として会津を領するが、伊達氏に攻められ、常陸に逃れた戦国大名

出身者

いいぬまさだきち

飯沼貞吉
1854年~1931年福島県
会津若松市
志士

戊辰戦争で、年齢を偽って白虎隊に参加したが、飯盛山で自刃しきれず、白虎隊で唯一の生存者となった人物

ゆかり

いわきさだたか

岩城貞隆
1583年~1620年不明
大名武将

関ヶ原の戦い後に所領没収、岩城家再興を嘆願し、信濃中村藩初代藩主となった戦国大名

ゆかり

かとうよしあき

加藤嘉明
1563年~1631年愛知県
西尾市
大名武将

賤ヶ岳の七本槍の1人で、松山藩・会津藩の初代藩主となった戦国大名・武将

ゆかり

がもううじさと

蒲生氏郷
1556年~1595年滋賀県
日野町
大名武将

豊臣秀吉に仕え、日野城主・松阪城主になり、最後は黒川城主として92万石の大名に出世した戦国武将

出身者

こうのひろなか

河野広中
1849年~1923年福島県
三春町
大臣議長議員藩士

自由民権運動に参加し、衆議院議長などを務めた明治・大正時代の政治家

出身者

こみねよしちか

小峰義親
1541年~1626年福島県
大名武将

白河結城氏の庶流であったが、謀反で白河結城氏の当主となり、その後、奥州仕置で所領を没収された戦国大名

出身者

さとうつぐのぶ

佐藤継信
不明~1185年福島県
福島市
武将

『源平盛衰記』で義経四天王に数えられた源義経の家臣で、屋島の戦いで討死したとされる武将

出身者

そうまよしたね

相馬義胤
1548年~1635年福島県
大名武将

伊達政宗と争い危機を向かえたが、奥羽仕置で所領を安堵された陸奥相馬氏第16代当主

ゆかり

たちばなむねしげ

立花宗茂
1567年~1643年大分県
豊後高田市
大名武将

関ケ原の戦で西軍に加わり敗れ、改易となるが、その後、旧領を回復した名将・大名

出身者

たむらたかあき

田村隆顕
不明~1574年福島県
武将

小領主ながら、相馬氏、岩城氏、佐竹氏、蘆名氏などの諸大名に囲まれながら、外交手腕を発揮し、生き延びた戦国武将

ゆかり

だてたねむね

伊達稙宗
1488年~1565年不明
大名武将

最上氏・葛西氏・岩城氏と抗争、領土を拡大し、陸奥守護に補任されるが、天文の乱で伊達氏を弱体化させた戦国大名

出身者

だててるむね

伊達輝宗
1544年~1585年福島県
桑折町
大名武将

伊達政宗の父で、二本松義継に捕らえられ、救出にむかった伊達勢の銃撃で亡くなった戦国大名・武将

出身者

だてはるむね

伊達晴宗
1519年~1578年福島県
大名武将

父・伊達稙宗と争い家督を相続、奥州探題になるなどしたが、子の伊達輝宗と争い隠居した戦国大名

出身者

とみたたかよし

富田高慶
1814年~1890年福島県
藩士実業家

二宮金次郎の弟子・娘婿で、報徳仕法を実施し、相馬藩を復興させた藩士

ゆかり

なかのたけこ

中野竹子
1850年4月~1868年東京都
武士

会津戦争で自主的に女性だけの「娘子軍」を結成し戦死した女性

ゆかり

ほしなまさゆき

保科正之
1611年~1673年東京都
大名藩主

3代将軍徳川家光の異母弟で、高遠藩主・山形藩主・会津藩主を務め、名君と称えられる江戸時代の大名


 他の都道府県の出身者・ゆかりのある人物については、「人物の都道府県一覧」をご覧ください。

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