神奈川県の武将・武士

概要

 神奈川県で生まれたり、神奈川県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

  神奈川県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「神奈川県の人物」をご覧ください。

一覧

名前出没年出身地概要
出身者

どいさねひら

土肥実平
不明~1191年頃神奈川県
武将

源頼朝の挙兵に呼応し源頼朝に仕え、源平合戦や奥州征伐で功を立てた御家人・武将

ゆかり

なかはらのちかよし

中原親能
1143年~1209年京都府
公家武士

源頼朝の側近・代官として活動し、朝廷と幕府の折衝に努めた平安・鎌倉時代の貴族・御家人

ゆかり

ながさきえんき

長崎円喜
不明~1333年不明
武士

鎌倉時代末期に鎌倉幕府で、御内人・内管領として権勢を誇った武士

出身者

なごえともとき

名越朝時
1193年~1245年神奈川県
鎌倉市
武将

北条義時の次男で、女性問題で源実朝の勘気に触れるが、その後。和田合戦や承久の乱で活躍した武将

出身者

にのみやきんじろう

二宮金次郎
1787年~1856年神奈川県
小田原市
藩士農家

小田原藩などの藩政を担い、財政再建・藩政立て直しなどを行った江戸時代の農政家

ゆかり

はったともいえ

八田知家
1142年~1218年栃木県
武将

源頼朝の挙兵に応じ仕え、平家追討では源範頼に従い、奥州合戦では東海道大将軍を務めた平安末期・鎌倉時代初期の武将

ゆかり

ひき よしかず

比企 能員
不明~1203年不明
武将

源頼朝の信任厚い側近として仕えるが、頼朝死後、比企能員の変で殺された鎌倉時代の武将

出身者

ふうまこたろう

風魔小太郎
不明~不明神奈川県
武将忍者犯罪者

戦国時代に北条氏に仕えた乱波の首領で、北条氏滅亡後は盗賊になったとされる人物

出身者

ふじわらのよりつぐ

藤原頼嗣
1239年~1256年神奈川県
鎌倉市
将軍公家

6歳で将軍に就任、了行法師らの謀叛事件に頼経が関係したとして14歳で解任された鎌倉幕府5代将軍

出身者

ほうじょううじくに

北条氏邦
1548年~1597年神奈川県
武将

北条氏康の子で、鉢形城主として、北条氏の上野進出に中心的な役割を果たすが、小田原征伐で降伏した戦国武将

出身者

ほうじょううじつな

北条氏綱
1487年~1541年神奈川県
大名武将

後北条氏の第2代当主で、「勝って兜の緒を締めよ」の遺言でも知られる後北条氏の領土の拡大を行った戦国大名

出身者

ほうじょううじてる

北条氏照
1542年~1590年神奈川県
武将

北条氏康の三男で、滝山城主・八王子城主などとして、北条氏政の領国支配を助けるが、小田原征伐で自刃した戦国武将

出身者

ほうじょううじなお

北条氏直
1562年~1591年神奈川県
大名武将

北条氏政の子で、小田原征伐の後、豊臣秀吉に赦免され、大坂などの所領を与えられた後北条氏の第5代当主

出身者

ほうじょううじまさ

北条氏政
1538年~1590年神奈川県
大名武将

北条家の最大版図を築くが、小田原征伐で豊臣秀吉に降伏し、自害した戦国大名

ゆかり

ほうじょううじやす

北条氏康
1515年~1571年不明
大名武将

武田信玄今川義元と甲相駿三国同盟を結び、関東を支配し、領土の拡大を図った戦国大名

ゆかり

ほうじょうそううん

北条早雲
不明~1519年岡山県
井原市
大名武将

後北条氏の祖であり、京から駿河に下り、伊豆国・相模国を平定した戦国武将

ゆかり

ほうじょうつなしげ

北条綱成
1515年~1587年不明
武将

北条氏綱の娘婿であり、北条家の北条五色備では、黄備えを担当し、河越夜戦など数々の戦功を挙げた戦国武将

ゆかり

ほうじょうときまさ

北条時政
1138年~1215年静岡県
武将

北条政子の父で、有力御家人を滅ぼし、鎌倉幕府の初代執権となるが、牧氏事件で失脚した武将

出身者

ほうじょうときむね

北条時宗
1251年~1284年神奈川県
鎌倉市
武将

2度にわたる元寇を退けた鎌倉時代中期の第8代執権

出身者

ほうじょうときより

北条時頼
1227年~1263年神奈川県
鎌倉市
武将

宮騒動や宝治合戦などを通じて、反得宗勢力を排し、北条氏の権力確立を図った第5代執権


 他の都道府県の出身者・ゆかりのある人物については、「人物の都道府県一覧」をご覧ください。

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