熊本県の武将・武士

概要

 熊本県で生まれたり、熊本県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

  熊本県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「熊本県の人物」をご覧ください。

一覧

名前出没年出身地概要
出身者

あそこれとよ

阿蘇惟豊
1493年~1559年熊本県
大名武将神職

兄・菊池武経やその子・阿蘇惟前と争い勝利し、阿蘇氏の最盛期を築いた戦国大名

出身者

あそこれまさ

阿蘇惟将
1520年~1583年熊本県
大名武将神職

島津氏や龍造寺氏の圧迫を受けながらも、甲斐宗運の補佐もあり、独立を保った肥後の戦国武将

出身者

いのうえこわし

井上毅
1844年~1895年熊本県
熊本市
大臣官僚藩士

明治時代に、大日本帝国憲法・皇室典範・教育勅語・軍人勅諭などの起草に携わった官僚・政治家

出身者

いんどうよりもり

犬童頼兄
1568年~1655年熊本県
武将藩士

相良氏の家臣で、筆頭家老として相良氏の執務を担ったが、失脚し弘前に流刑となった戦国武将

出身者

うえむらよりよし

上村頼孝
1517年~1567年熊本県
武将

相良氏の家臣で、相良義陽の家督相続を機に謀反を起こすが鎮圧され、最後は自害した戦国武将

ゆかり

おおともそうりん

大友宗麟
1530年~1587年大分県
大分市
大名武将

領土を拡大し最盛期には九州6か国を支配したが、島津家の侵攻の中、豊臣家の一大名となった戦国時代のキリシタン大名

ゆかり

おおともよしあき

大友義鑑
1502年~1550年大分県
大名武将

大友宗麟の父で、大内氏などと争いながら、豊前・豊後・筑後・肥後の4ヵ国に領土を拡大させるが、二階崩れの変で亡くなった戦国大名

ゆかり

かいそううん

甲斐宗運
1515年~1583年宮崎県
武将

阿蘇氏の家臣で、大勢力の大友氏・龍造寺氏・島津氏の狭間で、阿蘇氏の生き残りに尽力した戦国武将

ゆかり

かとうきよまさ

加藤清正
1562年~1611年愛知県
名古屋市
大名武将

賤ヶ岳の七本槍」の一人に数えられる豊臣秀吉の家臣で、熊本藩初代藩主となった戦国武将

ゆかり

かねよししんのう(かねながしんのう)

懐良親王
不明~1383年不明
皇族将軍武将歌人

南北朝時代に、南朝の征西大将軍として、九州における南朝方の全盛期を築いた後醍醐天皇の皇子

出身者

かやはるかた

加屋霽堅
1836年~1876年熊本県
熊本市
藩士神職

明治時代初期に、太田黒伴雄らとともに、神風連の乱を起こした藩士・神官

出身者

かわかみげんさい

河上彦斎
1834年~1872年熊本県
熊本市
藩士

漫画『るろうに剣心』の主人公・緋村剣心のモデルとされ、「幕末の四大人斬り」の一人と言われる尊皇攘夷派の熊本藩

出身者

きくちたけつね

菊池武経
1480年~1537年熊本県
山都町
武将神職

阿蘇惟憲の嫡男であったが、菊池氏の内紛に乗じ、菊池氏を相続、肥後守護職も簒奪したが家臣に追われ、弟の阿蘇惟豊との戦にも敗れ、薩摩に逃れた戦国武将

ゆかり

きくちよしたけ

菊池義武
1505年~1554年不明
武将

大友義長の次男で、菊池氏の家督を継ぐが、その後、大友氏と対立、甥である大友宗麟に滅ぼされた戦国武将

ゆかり

こにしゆきなが

小西行長
1558年~1600年京都府
大名武将

宇喜多直家豊臣秀吉に仕え、文禄・慶長の役で活躍したキリシタン大名

ゆかり

さいごうたかもり

西郷隆盛
1828年~1877年鹿児島県
鹿児島市
大臣藩士軍人教育者

明治維新の立役者の一人で、西南の役を起した薩摩藩士・政治家・軍人

出身者

さがらはるひろ

相良晴広
1513年~1555年熊本県
あさぎり町
大名武将

明との貿易や「相良氏法度二十一ヵ条」の制定など、相良氏の三郡支配を安定化させた戦国大名・武将

出身者

さがらよしひ

相良義陽
1544年~1581年熊本県
大名武将

相良氏の第18代当主で、島津氏の侵攻により降伏、響野原の戦いで討死した戦国大名・武将

出身者

さがらよりふさ

相良頼房
1574年~1636年熊本県
大名武将藩主

相良氏第20代当主で、島津氏に従属・家臣となるが、関ヶ原の戦いで反旗を翻し東軍についた戦国大名

ゆかり

さっさなりまさ

佐々成政
不明~1588年愛知県
名古屋市
大名武将

織田信長の家臣として越中を領し、その後、九州征伐で活躍し肥後を治めた戦国時代の大名・武将


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