概要
山梨県で生まれたり、山梨県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)
※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。
山梨県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「山梨県の人物」をご覧ください。
一覧
名前 | 出没年 | 出身地 | 概要 | ゆかり | あさのよしなが 浅野幸長 | 1576年~1613年 | 滋賀県 大津市 | 大名武将藩主 浅野長政の長男で、甲斐国の領主となるが豊臣秀次を擁護し配流となり、その後関ヶ原の戦いでの功で初代紀州藩主となった大名・武将 | 出身者 | あさりよいち 浅利与一 | 1149年~1221年 | 山梨県 中央市 | 武将 源頼朝の家臣で、弓の名手として、壇ノ浦の戦いや奥州合戦で戦功を立てた平安・鎌倉時代の武将 | 出身者 | あとべかつすけ 跡部勝資 | 不明~1582年 | 山梨県 | 武将 武田家に仕え、武田勝頼の側近として活躍するが、武田家没落の原因となった奸臣として評される戦国武将 | 出身者 | あなやまのぶただ 穴山信君 | 1541年~1582年 | 山梨県 | 武将 | 出身者 | あなやまのぶとも 穴山信友 | 1506年~1561年 | 山梨県 | 武将 武田氏の御一門衆として、武田信玄に仕え、今川家との外交を担った戦国武将 | 出身者 | あまりとらやす 甘利虎泰 | 1498年頃~1548年 | 山梨県 | 武将 武田信虎・武田晴信に仕えた譜代家老で、上田原の戦いで晴信を守り戦死した戦国武将 | 出身者 | いたがきのぶかた 板垣信方 | 1489年頃~1548年 | 山梨県 | 武将 武田二十四将、武田四天王の一人で、武田晴信のもと家臣団の筆頭格として活躍したが上田原の戦いで討死した戦国武将 | 出身者 | いちじょうのぶたつ 一条信龍 | 不明~1582年 | 山梨県 | 武将 武田信玄の弟で、戦での後衛や駿河の守りなどを任され、甲州征伐で討死した戦国武将 | 出身者 | おおくぼながやす 大久保長安 | 1545年~1613年 | 山梨県 | 武将幕臣 武田家滅亡後、徳川家に仕え、石見・佐渡・伊豆の金山・銀山の開発で大きな成果を挙げた戦国武将 | ゆかり | おおくまともひで 大熊朝秀 | 不明~1582年 | 新潟県 | 武将 | 出身者 | おがさわらながきよ 小笠原長清 | 1162年~1242年 | 山梨県 北杜市 | 武将 武田信光・海野幸氏・望月重隆と並んで「弓馬四天王」と称され、源頼朝に仕えた平安・鎌倉時代の武将 | ゆかり | おばた かげのり 小幡 景憲 | 1572年~1663年 | 不明 | 武将学者 徳川家などに仕えた武将で、甲州流軍学の創始者として知られる軍学者 | ゆかり | おばたとらもり 小幡虎盛 | 1491年~1561年 | 静岡県 | 武将 武田信虎・武田信玄2代に仕え、歴戦の勇者として、甲斐統一や今川氏・北条氏と戦いなどで活躍した戦国武将 | ゆかり | おばたまさもり 小幡昌盛 | 1534年~1582年 | 不明 | 武将 | 出身者 | おぶとらまさ 飯富虎昌 | 1504年~1565年 | 山梨県 | 武将 武田信虎・武田信玄に仕えた譜代の家老衆だが、義信事件に連座し切腹した戦国武将 | ゆかり | かわじりひでたか 河尻秀隆 | 1527年~1582年 | 愛知県 | 武将 黒母衣衆筆頭で、織田家の家臣として、甲州征伐で功績を上げ、甲斐の領主となった戦国武将 | 出身者 | くろこまのかつぞう 黒駒勝蔵 | 1832年~1871年 | 山梨県 笛吹市 | 志士 尊王攘夷派の志士で、清水次郎長と抗争を繰り返した幕末の任侠 | 出身者 | こうさかまさのぶ 高坂昌信 | 1527年~1578年 | 山梨県 笛吹市 | 武将 武田信玄・武田勝頼に仕え、武田四天王の一人として数えられる譜代家老衆であるとともに、口述記録で『甲陽軍鑑』を残したとされる戦国武将 | ゆかり | こんどういさみ 近藤勇 | 1834年~1868年 | 東京都 調布市 | 武士幕臣剣術家 幕末に新選組を組織し、芹沢暗殺後は局長となったが、官軍との戦いで敗走し捕らえられ処刑された人物 | ゆかり | たけだかつより 武田勝頼 | 1546年~1582年 | 不明 | 大名武将 武田信玄の子で信玄死後、武田家を継いだが、長篠の戦いでの敗北で弱体化し、甲州征伐で織田家に滅ぼされた戦国大名 |
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