三部経済制

概要

 三部経済制は、明治初期に導入された制度で、大都市が所在する府県を中心に、区部と郡部では経済格差があり財政負担の不均衡を調整するために設けられた制度である。
 東京府・大阪府・京都府・神奈川県・愛知県・兵庫県・広島県の3府4県で導入された。

 財政を区部・郡部、そして共通で経費を負担する連帯部の3つに分けて、財政運営が行うというものである。
 例えば、東京府の区部・郡部の地方税支出予算費目と、連帯経済費目と負担割合は次のようになっていた。


区部および郡部の地方税支出予算費目

区部および郡部の地方税支出予算費目(1881年度)


連帯経済費目と負担割合

連帯経済費目と負担割合(1893年度)

(出典)佐藤草平「都区制度における一体性と財政調整制度」より抜粋


 区部・郡部の財政負担調整を目的に導入されたものであり、市郡協調が図れられたが、反面、連帯部の分担率を巡り区部・郡部の対立が生じるなどの弊害も生じた。
 郡部の発展などもあり、1925年(大正14年)の大阪を皮切りに、徐々に廃止する府県が生じ、1940年(昭和15年)にすべての府県で三部経済制は廃止された。


年表

1879年(明治12年)

この年、東京府で「郡区地方税分離条例」が議決

区部と郡部の税負担の不公平感などが訴えられていた。
同様な動きは、大阪など大都市所在の府県で見られる。


1880年(明治13年)

5月27日 制度上三部経済制が認められる

太政官布告第26号
「区ノ地方税ニ係ル経費ハ府県会ノ決議ヲ経テ府知事県令ヨリ内務卿ニ見状シ其ノ裁定ヲ得テ郡ノ経費トコレヲ分別スルコトヲ得」


1881年(明治14年)

2月14日 東京府・大阪府・京都府・神奈川県で適用

太政官布告第8号で、これらの府県の三部経済制施行が認められ、三部経済制の適用が始まる。

4月 兵庫県で適用
8月 愛知県で適用


1888年(明治21年)

この年、広島県で適用


1925年(大正14年)

3月20日 大阪府で廃止


1927年(昭和2年)

この年、神奈川県・広島県で廃止


1932年(昭和7年)

10月1日 東京府で廃止


1940年(昭和15年)

この年、愛知県・兵庫県で廃止


参考

  前嶋雅光・蓮池義治・中山正太郎「兵庫県の100年

  坂本忠次「明治期広島区における三部経済制の成立」

  佐藤草平「都区制度における一体性と財政調整制度

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