年表
1888年(明治21年)(0歳)
3月22日 滋賀県伊香郡南冨永村で誕生
農家7人の子の6番目に生まれる
1900年(明治33年)(12歳)
高等小学校を卒業
実家の農業を手伝うようになる。
1903年(明治36年)(15歳)
長兄の奉公先を頼って、大阪に出て、丁稚奉公する
その後、大阪瓦斯のガス管設置の職人となる。
1908年(明治41年)(20歳)
大阪瓦斯を辞め、独立
天満の長屋に店舗を構え、ガス工事やガス発動機の設置、ガス管の販売を始める。
1912年(明治44年)(24歳)
山岡発動機工作所を設立
茶屋町に70坪の土地を借り、ガス発動機の修理・販売を始める
1920年(大正9年)(32歳)
横型の農業用三馬力石油発動機の試作品を完成
百姓の子として、農作業の過酷さから解放されるような農業用の発動機を作りたいと思い立つ。
そして、臼で手回しでやっていた籾磨りを機械化したものを完成させる。
1921年(大正10年)(33歳)
ヤンマー籾摺機として発表
農村の象徴として、「トンボ印」というブランド名を考えるが、静岡県の醤油製造機器メーカーが攪拌機で登録済み。
そこで、トンボの親玉である「ヤンマ」が思い浮かび、苗字の「山岡」にも通ずることから、「ヤンマ」を使うことにする。更に、「ヤンマ」を愛らしくするため、語尾を伸ばし、「ヤンマー」を商標とする。
1922年(大正11年)(34歳)
新エンジン「ヤンマー」搭載の動力精米機などが、平和記念東京博覧会で三等銅賞牌を受賞
「ヤンマー」の名が広まる
1929年(昭和4年)(41歳)
大阪の原動機博覧会でディーゼルエンジンを見る
燃費が石油の4分の1だと知り、ディーゼルエンジンの開発に取り組んでいく。
1933年(昭和8年)(45歳)
小型高速ディーゼルエンジンの開発に成功
1934年(昭和9年)(46歳)
小型高速ディーゼルエンジンの量産化を開始
1936年(昭和11年)(48歳)
山岡内燃機株式会社設立
1940年(昭和15年)(52歳)
山岡内燃機株式会社が山岡発動機を合併
1951年(昭和26年)(63歳)
第一回「藍綬褒章」を受章
1952年(昭和27年)(64歳)
社名をヤンマーディーゼル株式会社とする
1959年(昭和34年)(71歳)
「ヤン坊マー坊天気予報」が放送開始
ヤンマー「ヤン坊マー坊」
1962年(昭和37年)(74歳)
3月8日 死去
参考
宮本又郎『図説 明治の企業家 (ふくろうの本/日本の歴史)
』
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