1880年生まれの人物

概要

 1880年(明治13年)に誕生・生まれた人物の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

一覧

名前出没年出身地概要

あいざわやはち

藍澤彌八
1880年~1969年新潟県
実業家議員

証券会社「藍澤證券」(現:アイザワ証券グループ)の創業者

あゆかわよしすけ

鮎川義介
1880年11月6日~1967年山口県
山口市
実業家議員

戦前、日産コンツェルンを築き上げた実業家

うぃりあむ・めれる・ヴぉーりず

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
1880年~1964年アメリカ
建築家実業家社会事業家信者

関西学院大学などを設計した建築家であり、メンソレータムで有名な医薬品メーカー「近江兄弟社」の創業者

うちだのぶや

内田信也
1880年~1971年茨城県
行方市
実業家大臣議員首長

山下亀三郎勝田銀次郎と並ぶ三大船成金の一人で、海運会社・造船会社「内田汽船(内田造船所)」を創業し財を成した実業家・政治家

おおたわよしろう

大多和與四郎
1880年~1938年千葉県
白子町
学者

大正時代に、日本で初めて伝染性紅斑(リンゴ病)を発見した医学者

おおはらまごさぶろう

大原孫三郎
1880年~1943年岡山県
倉敷市
実業家社会事業家

大原孝四郎の三男で、「大原財閥」を築き上げた戦前の実業家・社会事業家

おおやまいくお

大山郁夫
1880年~1955年兵庫県
相生市
議員学者ジャーナリスト

大正デモクラシーを代表するジャーナリストの1人であり、その後、社会運動を展開した大正・昭和時代の政治家

かしまえつ

鹿嶋ゑつ
1880年~1925年東京都
品川区
芸妓

明治時代に「ぽん太」の名前で人気を博し、その美貌から絵葉書や明治屋のビール広告にも使われた新橋芸者

きたのつねとみ

北野恒富
1880年~1947年石川県
金沢市
画家

頽廃美を描き「画壇の悪魔派」とも評され人気を博し、大阪画壇のリーダー的存在となった戦前の日本画家・版画家

くまがいもりかず

熊谷守一
1894年~1977年岐阜県
中津川市
画家

抽象画などを描き、「画壇の仙人」と呼ばれた画家

こいそくにあき

小磯國昭
1850年~1942年栃木県
宇都宮市
大臣軍人

太平洋戦争中に戦局の挽回を果たすため内閣総理大臣になった政治家・陸軍軍人

ごとうとうすい

後藤桃水
1880年~1960年宮城県
東松島市
歌手

大正時代に、全国民謡大会を開催・成功させ、「日本民謡の父」とも言われた民謡家

さわきこうどう

澤木興道
1880年~1965年三重県
津市
僧侶

定住する寺を持たなかったことから「宿なし興道」と呼ばれた昭和を代表する曹洞宗の僧侶

すぎやまはじめ

杉山元
1880年~1945年福岡県
北九州市
軍人大臣

戦前は、日中戦争で強硬論を主張し、太平洋戦争の開戦時には参謀総長として、太平洋戦争開戦の立案・指導にあたった帝国陸軍軍人

たてかわよしつぐ

建川美次
1880年~1945年新潟県
新潟市
軍人外交官

建川挺身隊隊長として活躍、満州事変の黙認、日ソ中立条約交渉などに携わった帝国陸軍軍人

だぐらす・まっかーさー

ダグラス・マッカーサー
1880年~1964年アメリカ
軍人

太平洋戦争では連合国軍南西太平洋方面最高司令官として日本と戦い、戦後は連合国軍最高司令官として日本を占領した軍人

つだせいふう

津田青楓
1880年~1978年京都府
京都市
画家研究家

良寛研究家としても知られ、夏目漱石の『道草』『明暗』などの装丁を手がけた明治・大正・昭和時代の画家

ながのおさみ

永野修身
1880年~1947年高知県
大臣軍人

海軍大臣・連合艦隊司令長官・軍令部総長などを務めた帝国海軍軍人

にかいどうとくよ

二階堂トクヨ
1880年~1941年宮城県
大崎市
スポーツ指導者教育者

「二階堂体操塾」(現:日本女子体育大学)を創設、何人ものオリンピック選手を育て、「女子体育の母」と称される体育指導者・教育者

にしのうみかじろう

西ノ海嘉治郎(2代)
1880年~1931年鹿児島県
西之表市
力士

戦前に、親方として井筒部屋を繁栄させ、井筒系の年寄を増やそうとし、その反発から自殺に追い込まれた第25代横綱


 1880年に亡くなった人物については、「1880年没の人物」をご覧ください。

 他の年については、「年一覧」をご覧ください。

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