1913年生まれの人物

概要

 1913年(大正2年)に誕生・生まれた人物の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

一覧

名前出没年出身地概要

いえながさぶろう

家永三郎
1913年~2002年愛知県
名古屋市
学者

古代から近代にいたる日本思想史を研究し、いわゆる「家永教科書裁判」として3度にわたる教科書裁判を起こしたことでも知られる歴史学者

いしだはきょう

石田波郷
1913年~1969年愛媛県
松山市
俳人

戦前は加藤楸邨・中村草田男などともに、難解派・人間探求派と呼ばれ、戦後は現代俳句協会設立に尽力するなど、俳壇の再建に尽力した俳人

いとうまさよし

伊東正義
1913年~1994年福島県
会津若松市
大臣議員官僚

外相、内閣総理大臣臨時代理などを歴任し、竹下内閣の後継として首相を推されるも辞退した政治家・農水官僚

いわくらやすこ

岩倉靖子
1913年~1933年東京都
華族

岩倉具視の曾孫で赤化華族事件に関与し検挙・起訴された華族

おうぎやしょうぞう

扇谷正造
1913年~1992年宮城県
涌谷町
評論家ジャーナリスト編集者

「週刊誌の鬼」の綽名で知られ、『週刊朝日』の編集長として活躍した編集者・ジャーナリスト・評論家

おおたしずこ

太田静子
1913年~1982年滋賀県
愛荘町
歌人

太宰治の不倫相手で、『斜陽』に材料を提供した歌人

おださくのすけ

織田作之助
1913年~1947年大阪府
大阪市
作家

1940年代に活躍し、『夫婦善哉』で有名な無頼派の小説家

かしむらかんいち

樫村寛一
1913年~1943年香川県
善通寺市
軍人

左翼の1/3以上を失う中、無事に基地に帰還したことから「片翼帰還の英雄」として知られた帝国海軍軍人

かわはらとしお

川原俊夫
1913年~1980年韓国
実業家

博多式の辛子明太子を開発した食品メーカー「福さ屋」の創業者

きむらこうぞう

木村耕三
1913年~1983年東京都
中央区
官僚

「地域気象観測システム」(アメダス)を創設した人物

きんだいちはるひこ

金田一春彦
1913年~2004年東京都
文京区
学者

言語学者・金田一京助の長男で、国語辞典などの編纂、日本語の方言におけるアクセント研究、『平家物語』で知られる平曲研究などを行った言語学者

くろさわたけお

黒沢丈夫
1913年~2011年群馬県
上野村
首長軍人

上野村村長として、日本航空123便墜落事故の際に事故処理に尽力した政治家・軍人

さはししげる

佐橋滋
1913年~1993年岐阜県
土岐市
官僚

「ミスター通産省」と呼ばれ、城山三郎の『官僚たちの夏』のモデルとなったとされる通産省事務次官

さわだみき

沢田美喜
1913年~1933年東京都
文京区
社会事業家

岩崎弥太郎の孫娘で、養護施設を開設し、約2000人の混血児を育て上げた人物

すのうちとおる

洲之内徹
1913年~1987年愛媛県
松山市
実業家作家

美術エッセイ『気まぐれ美術館』の筆者で、世に知られない画家たちの優品を集めた「洲之内コレクション」でも知られた画商・小説家・エッセイスト

たおかかずお

田岡一雄
1913年~1981年徳島県
東みよし町
その他実業家

抗争事件を繰り返しながら、港湾荷役・興行などで利益を上げ、日本最大の暴力団をした「山口組」の三代目組長

たんげけんぞう

丹下健三
1913年~2005年大阪府
堺市
建築家

「世界のタンゲ」と言われ、『広島平和記念資料館』『東京都庁』『フジテレビ本社ビル』などを設計した建築家

だんどうしげみつ

團藤重光
1913年~2012年山口県
山口市
学者裁判官

最高裁判所判事なども務めた戦後日本の刑事法学の第一人者で、国による司法介入を記したノートを残した法学者

とみながなおき

富永直樹
1913年~2006年長崎県
長崎市
彫刻家デザイナー

彫刻家として『新風』『原爆殉難教え子と教師の像』などを制作するとともに、電話4号機・日本初のカラー電話・家具調テレビなどのデザインも手掛けた人物

なかはらじゅんいち

中原淳一
1913年~1983年香川県
東かがわ市
画家デザイナー編集者

戦前・戦後にかけて、美を追求し活躍した画家・デザイナー・編集者


 1913年に亡くなった人物については、「1913年没の人物」をご覧ください。

 他の年については、「年一覧」をご覧ください。

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