1862年没の人物

概要

 1862年(文久元年/文久2年)に死亡・亡くなった人物の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

一覧

名前出没年出身地概要

えだよししんよう

枝吉神陽
1822年~1862年佐賀県
学者教育者藩士

「義祭同盟」を結成し、副島種臣大隈重信江藤新平など多数の人材を輩出し、「佐賀の吉田松陰」とも称される国学者・佐賀藩

おおはしとつあん

大橋訥庵
1816年~1862年東京都
学者

公武合体論による皇女和宮の降嫁に反対するなどし、坂下門外の変を計画したとされる幕末の儒学者

くろさわごろう

黒沢五郎
1833年~1862年茨城県
藩士

幕末の水戸藩士で、第一次東禅寺事件と坂下門外の変の実行犯

せきてつのすけ

関鉄之介
1824年~1862年茨城県
水戸市
藩士

桜田門外の変で実行部隊の指揮を執った水戸藩

ながのしゅぜん

長野主膳
1815年~1862年不明
学者藩士

井伊直弼の懐刀として辣腕を振るうが、井伊直弼死後の文久の改革で斬首された幕末の国学者

ひでのやまらいごろう

秀ノ山雷五郎
1808年~1862年宮城県
気仙沼市
力士

第9代横綱で、引退後に相撲史上初の大事件である「嘉永事件」を引き起こした江戸時代後期の大相撲力士

ほんいんぼうしゅうさく

本因坊秀策
1829年~1862年広島県
尾道市
棋士

「秀策流」という布石を編み出し、13年間で19連勝するなど、囲碁史上最強とも言われる幕末の囲碁棋士

ほんませいいちろう

本間精一郎
1834年~1862年新潟県
長岡市
志士

勤皇の志士として諸国をまわり活動するが、同志により斬首された幕末の人物

よしだとうよう

吉田東洋
1816年~1862年高知県
高知市
藩士

高知藩主・山内容堂のもと、藩政改革を行うが、その革新的な内容から、土佐勤王党により暗殺された土佐藩


 1862年に生まれた人物については、「1862年生まれの人物」をご覧ください。

 他の年については、「年一覧」をご覧ください。

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