1863年没の人物

概要

 1863年(文久2年/文久3年)に死亡・亡くなった人物の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

一覧

名前出没年出身地概要

あぐいよしみち

安居院義道
1789年~1863年神奈川県
秦野市
農家

二宮尊徳から報徳思想を学び、遠江国長上郡下石田村で、下石田社を結成し、報徳思想の普及を行った農業指導者

あねがこうじきんとも

姉小路公知
1840年~1863年京都府
公家

日米修好通商条約に反対し、廷臣八十八卿の指導者として活動、三条実美と共に攘夷派の先鋒となったが朔平門外の変で襲われ死去した公家

おがたこうあん

緒方洪庵
1810年~1863年岡山県
岡山市
学者医者藩士

江戸時代末期に、大坂に適塾を開き、天然痘治療などに貢献した医師・蘭学者

きよかわはちろう

清河八郎
1830年~1863年山形県
庄内町
志士

尊王攘夷派の志士を京都に呼び寄せたり、浪士組を結成し新選組・新徴組への流れを作るなどし「明治維新の魁」とも称される、庄内藩出身の幕末志士

せりざわかも

芹沢鴨
不明~1863年茨城県
北茨城市
武士

幕末の水戸藩浪士であり、新選組の初代局長

たなかしんべえ

田中新兵衛
1832年~1863年鹿児島県
藩士

幕末の四大人斬りの1人で、「朔平門外の変」の犯人として捕えられ自害した薩摩藩

ぶっしょうじやすけ

仏生寺弥助
1830年~1863年富山県
氷見市
剣術家

無学で素行なども悪かったが、幕末に最強とも言われた剣豪

まさきてつま

間崎哲馬
1834年~1863年高知県
藩士

土佐勤王党で活躍するが、青蓮院宮令旨事件で山内容堂の逆鱗に触れ切腹した幕末の土佐藩

よしむらとらたろう

吉村虎太郎
1837年~1863年高知県
津野町
藩士

土佐勤王党に加盟するが脱藩し、中山忠光を擁して天誅組の変を起こし戦死した志士


 1863年に生まれた人物については、「1863年生まれの人物」をご覧ください。

 他の年については、「年一覧」をご覧ください。

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