1864年没の人物

概要

 1864年(文久3年/文久4年/元治元年)に死亡・亡くなった人物の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

一覧

名前出没年出身地概要

あおきしゅうすけ

青木周弼
1803年~1864年山口県
周防大島町
医者

幕末の長州藩で、コレラ治療や医学校開設を行うなど、西洋の医学の導入などを行った蘭方医

いりえくいち

入江九一
1837年~1864年山口県
萩市
藩士

松門四天王の一人に数えられ、奇兵隊などに参加し、禁門の変で亡くなった維新志士

くさかげんずい

久坂玄瑞
1840年~1864年山口県
萩市
藩士

松下村塾で高杉晋作と共に「村塾の双璧」とされ、その後長州藩の尊王攘夷派の中心となったが、禁門の変で自害した長州藩

さくましょうざん

佐久間象山
1811年~1864年長野県
長野市
藩士学者教育者

門弟として吉田松陰勝海舟などの幕末の志士などを輩出するとともに、開国論を主張した学者・教育者

すふまさのすけ

周布政之助
1823年~1864年山口県
萩市
藩士

村田清風の後を継ぎ、軍制・財政などの藩政改革を行うが、禁門の変などの責任をとり自害した長州藩士

なかやまただみつ

中山忠光
1845年~1864年京都府
公家志士

幕末に、尊王攘夷を目指し「天誅組」の首領として挙兵するが敗走、最後は暗殺された公家

のざきぶざえもん

野崎武左衛門
1789年~1864年岡山県
倉敷市
実業家

「ナイカイ塩業」の創始者で、塩田や新田開発を行った、江戸時代後期の実業家

ひらのくにおみ

平野国臣
1828年~1864年福岡県
福岡市
藩士志士

九州有志と挙兵をはかるが寺田屋騒動で失敗、但馬国生野で挙兵するがまたも失敗、禁門の変の際に殺害された福岡藩士・志士

ほったまさよし

堀田正睦
1810年~1864年東京都
幕臣藩主

幕末に、日米修好通商条約調印にあたり開港を行おうとしたが失敗し、井伊直弼が大老に就任し失脚した老中・佐倉藩

まきいずみ

真木和泉
1813年~1864年福岡県
久留米市
藩士神職

久留米・水天宮の神官であったが、尊王攘夷派として活動し禁門の変で敗れ、爆死自害した幕末志士

ますだちかのぶ

益田親施
1833年~1864年山口県
萩市
藩士

幕末に、長州軍を指揮し禁門の変で敗れたことから、第一次長州征伐で幕府から責任を問われ自害した長州藩士


 1864年に生まれた人物については、「1864年生まれの人物」をご覧ください。

 他の年については、「年一覧」をご覧ください。

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