概要
1898年(明治31年)に死亡・亡くなった人物の一覧を掲載しています(五十音順)
※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、生没年は西暦で掲載しています。
一覧
| 名前 | 生没年 | 場所 | 概要 | |
|---|---|---|---|---|
あかばね まんじろう 赤羽 萬次郎 | 1861年~1898年 | 実業家ジャーナリスト記者 地方紙『北國新聞』の創業者である新聞記者・ジャーナリスト。 | ||
おかもと こうせき 岡本 黄石 | 1812年~1898年 | 藩士学者詩人 梁川星巌に学び、軍学や儒学を修めて「彦根藩」の家老として藩政を担当。桜田門外の変後の混乱を収め、戊辰戦争では藩を朝廷側に導き、維新後は京都や東京で詩社を主宰して漢詩の創作と指導に力を注いだ、幕末から明治時代の彦根藩士・漢詩人。 | ||
かわだ しょうりゅう 河田 小龍 | 1824年~1898年 | 画家 アメリカから帰国したジョン万次郎の取り調べを行い、『漂巽紀畧』を著し、多くの幕末維新の志士に影響を与えたとも言われる幕末・明治時代の絵師・日本画家。 | ||
さいとう かんのすけ 斎藤 歓之助 | 1833年~1898年 | 剣術家 幕末から明治期、江戸の剣術道場「練兵館」を開いた斎藤弥九郎の三男として生まれ、幼少から父のもとで修行。突き技に優れ、大村藩に招かれて藩士の指導と神道無念流の普及に尽力。厳しい稽古と卓越した剣技から鬼歓の異名で知られた剣術家。 | ||
ふくしま くになり 福島 邦成 | 1819年~1898年 | 医者社会事業家 宮崎県ではじめて牛痘接種をおこなうと共に、私財を投じて「橘橋」を架橋した医師。 | ||
みぎた アサ 右田 アサ | 1871年~1898年 | 医者 日本初の女性眼科医とされ、女性の医学修業が難しかった明治時代に医術開業試験に合格。井上達也のもとで眼科を学び、東京や静岡で診療に従事。さらなる研鑽を目指したものの若くして病没し、女性が眼科医として働く道を切り開いた、島根県益田出身の眼科医。 | ||
わたなべ ひこたろう 渡辺 彦太郎 | 1817年~1898年 | 社会事業家 江戸時代に、馬場目川の河川改修工事や新田開発などを行った篤志家。 | ||
| グイド・フルベッキ | 1830年~1898年 | 教職者教育者 幕末に来日、長崎・佐賀などで教鞭をとり、新政府顧問として、岩倉使節団の派遣やドイツ医学の採用などを進言した宣教師。 | ||
ジョン まんじろう ジョン 万次郎 | 1827年~1898年 | 教育者 漂流によりアメリカに行き、帰国後、通訳として日米修好通商条約の締結に尽力したり、開成学校(現:東京大学)などの教師をした人物。 | ||
1898年に生まれた人物については、「1898年生まれの人物」をご覧ください。
他の年については、「年一覧」をご覧ください。
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