1912年没の人物

概要

 1912年(明治45年/大正元年)に死亡・亡くなった人物の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

一覧

名前出没年出身地概要

いしかわたくぼく

石川啄木
1886年~1912年岩手県
盛岡市
詩人歌人

歌集『一握の砂』『悲しき玩具』で知られる、明治時代の詩人・歌人

いぢちひこじろう

伊地知彦次郎
1860年~1912年鹿児島県
軍人

日露戦争で、連合艦隊旗艦「三笠」艦長として従軍した明治時代の帝国海軍軍人

えびこすえじろう

蛯子末次郎
1843年~1912年北海道
函館市
船乗り

「函館三士」の1人とされ、開拓使のシンボルとして使用された「北辰旗」をデザインした明治時代の航海士

おのたさぶろう

小野太三郎
1840年~1912年石川県
金沢市
社会事業家

救済施設「小野救養所」を開設し、救護活動を行った幕末・明治時代初期の社会福祉事業家

かとりもとひこ

楫取素彦
1829年~1912年山口県
萩市
首長官僚藩士

幕末期には長州藩士として活動し、明治政府では群馬県令などを務めた官僚・政治家

かわさきしょうぞう

川崎正蔵
1836年~1912年鹿児島県
鹿児島市
実業家議員

造船会社「川崎造船所」(現:川崎重工業)を設立し、「神戸川崎財閥」を築き上げた明治時代の実業家

きしもとたつお

岸本辰雄
1851年~1912年鳥取県
鳥取市
学者

法学者で明治大学の創設者

しぶさわせいいちろう

渋沢成一郎
1838年~1912年埼玉県
深谷市
幕臣官僚実業家

幕末に彰義隊・振武軍などを結成し新政府軍と戦い、明治になると大蔵省への出仕や実業家となった人物

しょうきょくさいてんいち

松旭斎天一
1853年~1912年福井県
福井市
芸人

西洋と中国の手品を学び、明治時代初期に奇術を行ったことから「日本近代奇術の祖」と呼ばれる奇術師

せきかんさい

関寛斎
1830年~1912年千葉県
東金市
医者

徳島で庶民の診療や種痘奉仕などに尽力し、「関大明神」と慕われるとともに、北海道陸別町の開拓事業を行った蘭方医

にこらい

ニコライ
1836年~1912年ロシア
教職者

明治・大正時代に日本で正教を布教し、ニコライ堂を建立したロシア人大主教

のぎしずこ

乃木静子
1859年~1912年鹿児島県
鹿児島市
その他

夫・乃木希典とともに、明治天皇に殉じた女性

のぎまれすけ

乃木希典
1849年~1912年東京都
港区
軍人

日露戦争で旅順攻囲戦・奉天会戦などを指揮・勝利に導き、明治天皇の後を追って殉死した帝国陸軍軍人

はせがわたい

長谷川泰
1842年~1912年新潟県
長岡市
医者議員官僚

「済生学舎」(現:日本医科大学)の創立者である医師

ほんだよういつ

本多庸一
1849年~1912年青森県
弘前市
教職者教育者議長議員

東奥義塾長・青山学院校長・日本メソジスト教会監督などを務め、明治時代のキリスト教主義教育の先駆者の1人とされる人物

めいじてんのう

明治天皇
1852年~1912年京都府
京都市
天皇

王政復古の大号令で新政府を樹立し、東京に遷都、近代国家の確立に務めた第122代天皇

もとらゆうじろう

元良勇次郎
1858年~1912年兵庫県
三田市
学者

明治時代に心理学を日本に持ち込んだ日本初の心理学者


 1912年に生まれた人物については、「1912年生まれの人物」をご覧ください。

 他の年については、「年一覧」をご覧ください。

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