1919年没の人物

概要

 1919年(大正8年)に死亡・亡くなった人物の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

一覧

名前出没年出身地概要

あかしもとじろう

明石元二郎
1864年~1919年福岡県
福岡市
軍人スパイ

日露戦争のとき、ロシア革命派を支援する諜報活動を行い、後に台湾総督となった帝国陸軍軍人

いたがきたいすけ

板垣退助
1837年~1919年高知県
高知市
大臣軍人藩士

幕末には土佐藩士として倒幕に加わり、明治時代には自由民権運動を推進し、「板垣死すとも自由は死せず」という言葉も残した政治家

いのうええんりょう

井上円了
1858年~1919年新潟県
長岡市
学者教育者

明治時代に哲学館大学(現:東洋大学)を設立した仏教哲学者

いのうえともいち

井上友一
1871年~1919年石川県
金沢市
首長官僚

感化救済事業や地方改良運動などに尽力し、東京府知事にもなった明治・大正時代の内務官僚

うえすぎもちのり

上杉茂憲
1844年~1919年山形県
米沢市
藩主首長議員

米沢藩13代藩主であり、沖縄県令として人材育成に力を入れると共に、税制改革や地方役人削減を行おうとするが政府反対で解任された人物

おおやますてまつ

大山捨松
1860年~1919年福島県
会津若松市
社会事業家

日本最初の女子留学生の一人であり、大山巌の妻で、愛国婦人会理事、赤十字篤志看護会などの社会活動を行った人物

おがたまさのり

緒方正規
1853年~1919年熊本県
八代市
学者

明治時代に日本の衛生学・細菌学の基礎を確立した衛生学者

かさいじゅんぱち

笠井順八
1835年~1919年山口県
萩市
実業家藩士役人

郡奉行・山口県勧業局長などを務めたが山口県を辞して、国内初の民間セメント製造会社「セメント製造会社」(現:太平洋セメント)を創業した実業家

かのうひさよし

加納久宜
1848年~1919年東京都
藩主首長議員官僚検察官

幕末の上総国一宮藩主で、司法界・教育界・産業界など、多方面で日本の近代化に尽力した人物

きむらせいたろう

木村誓太郎
1847年~1919年三重県
東員町
議員

官憲に逆らい、地租改正条例に反対するなどした政治家

たつのきんご

辰野金吾
1854年~1919年佐賀県
唐津市
建築家

「日本銀行本店」「中之島公会堂」などの設計を行った明治時代の建築家

てらうちまさたけ

寺内正毅
1852年~1919年山口県
山口市
大臣軍人藩士

初代朝鮮総督であり、内閣総理大臣の際にはシベリア出兵を行った政治家

てらさきこうぎょう

寺崎広業
1866年~1919年秋田県
秋田市
画家

明治・大正時代に水彩画・大和絵・南画の折衷による新たな風景画を模索し、『秋苑』『大仏開眼』などを制作した画家

ふくしまやすまさ

福島安正
1852年~1919年長野県
松本市
軍人

シベリアを単騎で横断・実地調査を行い、情報収集に力を発揮した明治・大正時代の帝国陸軍軍人

まえじまひそか

前島密
1835年~1919年新潟県
上越市
議員官僚教育者

日本の近代郵便制度の創設を行ったことから、「郵便制度の父」と呼ばれる明治時代の官僚・政治家

まついすまこ

松井須磨子
1886年~1919年長野県
長野市
女優歌手

舞台『人形の家』『復活』などで人気を博し、『カチューシャの唄』『さすらいの唄』などを歌い日本人初の歌う女優となるなど、大正時代に活躍した女優・歌手

みしまちゅうしゅう

三島中洲
1831年~1919年岡山県
倉敷市
学者裁判官教育者藩士

明治の三大文宗の一人に数えられ、「二松學舍」(現:二松學舍大学)を創立した漢学者・判事

もりむらいちざえもん

森村市左衛門(6代)
1839年~1919年東京都
中央区
実業家社会事業家

明治時代に、海外との陶磁器の貿易で財を成した陶磁器メーカー「日本陶器」(現:ノリタケカンパニーリミテド)の創業者

よねいげんじろう

米井源次郎
1861年~1919年岡山県
津山市
実業家

「麒麟麦酒」の創設に携わり、小売業「明治屋」の2代目社長を務めるともに。、商社「米井商店」(現:ヨネイ)、ゴム製品メーカー「明治護謨製造所」(現:明治ゴム化成)を創業した実業家


 1919年に生まれた人物については、「1919年生まれの人物」をご覧ください。

 他の年については、「年一覧」をご覧ください。

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