1922年没の人物

概要

 1922年(大正11年)に死亡・亡くなった人物の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

一覧

名前出没年出身地概要

いしはらわさぶろう

石原和三郎
1865年~1922年群馬県
みどり市
作詞家

童謡『兎と亀』『花咲爺』『金太郎』などを制作した明治・大正時代の作詞家

おおいけんたろう

大井憲太郎
1843年~1922年大分県
宇佐市
議員活動家弁護士

明治時代に、朝鮮の内政改革を実現しようとした「大阪事件」を起こした政治家・社会運動家・弁護士

おおくましげのぶ

大隈重信
1838年~1922年佐賀県
佐賀市
大臣議員藩士教育者

早稲田大学の創立者であり、内閣総理大臣として政党内閣を組織した政治家

おかむらみつぎ

岡村貢
1836年~1922年新潟県
南魚沼市
議員

上越線の開通に尽力し「上越線の父」と呼ばれる、明治時代の政治家

かばやますけのり

樺山資紀
1837年~1922年鹿児島県
鹿児島市
軍人大臣警察官

海軍大臣時代には「蛮勇演説」を行い、その後、初代台湾総督となった明治時代の帝国軍人・政治家

くりはらぎょくよう

栗原玉葉
1883年~1922年長崎県
雲仙市
画家

『さすらい』『身のさち 心のさち』などを制作し、女性画家として「京都の松園・東京の玉葉」と並び評された明治・大正時代の日本画家

さいごうしろう

西郷四郎
1866年~1922年福島県
会津若松市
柔道家

小説『姿三四郎』のモデルとされる明治時代の柔道家

しょうだへいごろう

荘田平五郎
1847年~1922年大分県
臼杵市
実業家教育者

三菱財閥の発展の貢献し、豊川良平・近藤廉平・末延道成と合わせ、三菱四天王と呼ばれた財界人

たかみねじょうきち

高峰譲吉
1854年~1922年富山県
高岡市
学者実業家

タカジアスターゼ・アドレナリンを発見し、消化薬「タカジアスターゼ」を発明した研究者・実業家

つぼいげんどう

坪井玄道
1852年~1922年千葉県
市川市
学者

日本最初の体操教師と言われる、明治時代の体育学者

ひたちやまたにえもん

常陸山谷右エ門
1874年~1922年茨城県
水戸市
力士

第20代横綱・梅ヶ谷藤太郎ともに、「常陸時代」と呼ばれる明治後期の相撲黄金時代を築き、第19代横綱となった大相撲力士

みやざきとうてん

宮崎滔天
1871年~1922年熊本県
荒尾市
活動家

明治時代後半に、欧州に侵略されているアジアを救うという信念のもと、大陸浪人として活躍、孫文などを支援し、辛亥革命を支えた革命家

もりおうがい

森鴎外
1862年~1922年島根県
津和野町
作家評論家医者軍人

陸軍軍医総監として軍医のトップに立つとともに、『舞姫』『ヰタ・セクスアリス』『高瀬舟』などの作品を残した明治時代を代表する作家の1人

やいたたけし

矢板武
1849年~1922年栃木県
矢板市
実業家銀行家議員

明治時代に那須疏水の開削などを行った実業家・政治家

やまがたありとも

山縣有朋
1838年~1922年山口県
萩市
大臣議員軍人藩士

明治新政府で権勢を誇り内閣総理大臣となるとともに、「山県閥」と呼ばれる官僚・軍人の一大勢力を形成した政治家

わいないさだゆき

和井内貞行
1858年~1922年秋田県
鹿角市
漁業者

明治時代に、十和田湖でのヒメマスの養魚事業などを行い、十和田湖開発を行った人物


 1922年に生まれた人物については、「1922年生まれの人物」をご覧ください。

 他の年については、「年一覧」をご覧ください。

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