概要
1939年(昭和14年)に死亡・亡くなった人物の一覧を掲載しています(五十音順)
※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。
一覧
名前 | 出没年 | 出身地 | 概要 | いずみきょうか 泉鏡花 | 1873年~1939年 | 石川県 金沢市 | 作家 『高野聖』『婦系図』『歌行燈』などを著し、幻想的な小説で知られる戦前の作家 | おかださぶろうすけ 岡田三郎助 | 1869年~1939年 | 佐賀県 | 画家 風景画や女性像を得意とし、『矢調べ』『あやめの衣』などを制作した戦前の洋画家 | おかもときどう 岡本綺堂 | 1872年~1939年 | 東京都 港区 | 劇作家作家 明治時代の新歌舞伎を代表する劇作家であり、日本最初の岡っ引捕り物小説『半七捕物帳』などを著した小説家 | かがみけんきち 各務鎌吉 | 1869年~1939年 | 岐阜県 岐阜市 | 実業家議員 損害保険会社「東京海上火災保険」の社長・会長などを務め、「損害保険業界の父」ともいわれる実業家 | きたさだきち 喜田貞吉 | 1871年~1939年 | 徳島県 小松島市 | 学者 法隆寺再建論を主張したり、被差別部落研究なども行った戦前の歴史学者 | くじじろう 久慈次郎 | 1898年~1939年 | 青森県 青森市 | スポーツ選手 戦前に、社会人野球チーム「函館太洋倶楽部」で長く活躍し、試合中の送球で亡くなった名捕手 | さとうしょうすけ 佐藤昌介 | 1856年~1939年 | 岩手県 花巻市 | 学者 札幌農学校の第1期生で、札幌農学校を帝国大学に昇格させるために尽力したことから「北大育ての親」とも呼ばれる農業経済学者 | たなかちがく 田中智学 | 1861年~1939年 | 東京都 | 教祖 戦前に法華宗系仏教団体「国柱会」を創立した宗教家 | ちぇんぴんしゅん 陳平順 | 1919年~2002年 | 中国 | 料理人 長崎ちゃんぽんのルーツとされる「支那饂飩」を考案した中華料理店「四海樓」の初代店主 | てらしましげのぶ 寺島成信 | 1869年~1939年 | 山形県 鶴岡市 | 学者 大正時代に日本で初めて経済学博士を取得した人物 | なかだじゅうじ 中田重治 | 1870年~1939年 | 青森県 弘前市 | 教職者 「日本ホーリネス教会」の創始者の1人で、初代監督を務めた戦前の宗教家 | はやしごんすけ 林権助 | 1860年~1939年 | 福島県 会津若松市 | 外交官 特命全権公使として、日韓議定書・第一次日韓協約・第二次日韓協約の締結に携わった外交官 | ひだいてんらい 比田井天来 | 1872年~1939年 | 長野県 佐久市 | 書家 戦前に新しい書の理念、独自の書風を確立し、「現代書道の父」と呼ばれる書道家 | ほそのまさぶみ 細野正文 | 1870年~1939年 | 新潟県 上越市 | 官僚 ミュージシャン・細野晴臣の祖父で、日本人唯一のタイタニック号乗客として知られる戦前の官僚 | やましたりん 山下りん | 1857年~1939年 | 茨城県 笠間市 | 画家 日本人最初のイコン画家として知られる明治時代に活動した女性画家 | やまもとけんぞう 山本懸蔵 | 1895年~1939年 | 茨城県 神栖市 | 活動家 三・一五事件でソ連に亡命したが、スターリンの粛清で処刑された共産主義者 | わたなべこうぞう 渡辺蒿蔵 | 1843年~1939年 | 山口県 萩市 | 実業家官僚技術者 長崎造船局初代所長や「日本郵船」社長などに就任した造船技術者・実業家・官僚 |
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1939年に生まれた人物については、「1939年生まれの人物」をご覧ください。
他の年については、「年一覧」をご覧ください。
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