藤原頼長

概要

 藤原 頼長は、日記『台記』でも知られ、「悪左府」の異名を取り、崇徳上皇と結ぶが、保元の乱で敗れた平安時代の公卿です。

名 前藤原 頼長 (ふじわらのよりなが)
性 別男性
生没年1120年(保安元年5月)~1156年8月1日(保元元年7月14日)
出生地山城国(現:京都府)
没 地奈良坂(現:奈良県奈良市般若寺町)
墓 所相国寺(京都府京都市上京区相国寺門前町701)
時 代平安
父 親藤原忠実
母 親藤原盛実の娘
配偶者藤原幸子、源師俊の娘、源信雅の娘
子 供藤原師長、藤原兼長、藤原隆長、範長 、(養子)藤原多子
家 族
備 考

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