岡山県の武将・武士

概要

 岡山県で生まれたり、岡山県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

  岡山県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「岡山県の人物」をご覧ください。

一覧

名前出没年出身地概要
出身者

あかしかげちか

明石景親
不明~不明岡山県
武将

浦上家に仕えていたが、天神山城の戦いで裏切り、宇喜多家に仕えた戦国武将

出身者

あかしてるずみ

明石全登
不明~不明岡山県
武将

宇喜多家に仕えていたが、関ヶ原の戦いで浪人となり、大坂の陣で活躍したキリシタンの戦国武将

ゆかり

あかまつみつすけ

赤松満祐
1381年~1441年兵庫県
大名武将

播磨・備前・美作の守護大名であったが、将軍足利義教の専制に反発・対立し、嘉吉の乱で足利義教を殺害した武将

ゆかり

あさのながあきら

浅野長晟
1586年~1632年滋賀県
大津市
武将藩主

浅野長政の次男で、足守藩主、和歌山藩第2代藩主、広島藩初代藩主などとなった人物

ゆかり

あしかがよしあき

足利義昭
1537年~1597年京都府
京都市
将軍武将

織田信長に擁され室町幕府第15代将軍となったが、その後、織田信長に反旗を翻した室町幕府最後の将軍

ゆかり

いけだながおき

池田長発
1837年~1879年東京都
幕臣

井原池田家の当主で、遣欧使節団の正使として、エジプトやパリに渡った幕臣

出身者

いけだみつまさ

池田光政
1609年~1682年岡山県
岡山市
藩主

江戸時代前期に、姫路藩主・鳥取藩主となった後、岡山藩主として閑谷学校の開校など、藩政改革を行った人物

出身者

うきたただいえ

宇喜多忠家
1533年~1609年頃岡山県
武将

兄・宇喜多直家やその子・宇喜多秀家を支え、辛川崩れ・備中高松城の戦いなどで功を挙げた戦国武将

出身者

うきたなおいえ

宇喜多直家
1529年~1581年岡山県
瀬戸内市
大名武将

浦上宗景の家臣であったが反旗を翻し主君を追放、下剋上でのし上がり備前国を支配した戦国大名

出身者

うきたひでいえ

宇喜多秀家
1572年~1655年岡山県
大名武将

豊臣秀吉に仕え、五大老の一人に任じられたが、関ヶ原の戦いで西軍に属し敗北、八丈島に配流となった戦国大名

出身者

うきたよしいえ

宇喜多能家
不明~1534年岡山県
武将

赤松氏の守護代であった浦上則宗・浦上村宗に仕え、赤松氏と戦い、浦上氏の下剋上を助けた戦国武将

出身者

うらかみぎょくどう

浦上玉堂
1745年~1820年岡山県
浅口市
画家藩士

鴨方藩士であったが脱藩し、各地を放浪、『東雲篩雪図』などを描いた江戸時代後期の南画家

出身者

うらがみまさむね

浦上政宗
不明~1564年岡山県
武将

浦上家を家督相続し、赤松家の筆頭宿老になるが、弟・浦上宗景と対立し敗れた戦国武将

出身者

うらがみむねかげ

浦上宗景
不明~不明岡山県
武将

兄・浦上政宗と対立し争い、備前を支配するが、重臣の宇喜多直家の離反で城を追われた戦国武将

出身者

おがたこうあん

緒方洪庵
1810年~1863年岡山県
岡山市
学者医者藩士

江戸時代末期に、大坂に適塾を開き、天然痘治療などに貢献した医師・蘭学者

ゆかり

きのしたいえさだ

木下家定
1543年~1608年愛知県
清須市
大名武将藩主

高台院の兄ということで出世し、姫路城主などを務めるが、関ヶ原の戦いの後、備中国足守藩主となった戦国大名

ゆかり

きのしたかつとし

木下勝俊
1569年~1649年愛知県
大名武将歌人

高台院の甥で、後瀬山城主などとなるが改易・所領没収などされ、むしろ歌人として名を馳せた戦国武将・歌人

出身者

くろだもとたか

黒田職隆
1524年~1585年岡山県
瀬戸内市
武将

黒田官兵衛の父で、播磨御着城主の小寺政職に仕えた戦国武将

出身者

こじまたかのり

児島高徳
不明~不明岡山県
倉敷市
武将

後醍醐天皇の討幕に呼応し挙兵、建武政権崩壊後も一貫し南朝に属し、後醍醐天皇に忠義を尽くした南北朝時代の武将

ゆかり

こばやかわひであき

小早川秀秋
1582年~1602年滋賀県
長浜市
大名武将藩主

羽柴秀吉の正室・ねねの甥で、関ヶ原の戦いで西軍を裏切り徳川家康についた大名・武将


 他の都道府県の出身者・ゆかりのある人物については、「人物の都道府県一覧」をご覧ください。

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