栃木県の武将・武士

概要

 栃木県で生まれたり、栃木県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

  栃木県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「栃木県の人物」をご覧ください。

一覧

名前出没年出身地概要
ゆかり

いなばまさなり

稲葉正成
1571年~1628年不明
大名武将

春日局の夫で、関ヶ原の戦いで小早川秀秋を東軍に寝返らせた功などにより、十七条藩主・真岡藩藩主になった戦国大名・武将

ゆかり

うえすぎのりざね

上杉憲実
不明~1590年新潟県
大名武将

永享の乱を戦い、足利学校や金沢文庫を再興した室町時代中期の関東管領・守護大名

出身者

うつのみやくにつな

宇都宮国綱
1568年~1608年栃木県
大名武将

北条氏の勢力に取り囲まれる中、小田原征伐で生き延びたが、豊臣秀吉により改易された戦国大名

出身者

うつのみやしげつな

宇都宮成綱
1468年~1516年栃木県
宇都宮市
大名武将

下野宇都宮氏の最盛期を築き上げた戦国大名

ゆかり

おばたたかまさ

小幡高政
1817年~1906年山口県
山口市
実業家銀行家首長官僚藩士

明治時代に、宇都宮県参事・小倉県参事などを務めた後、萩の産業振興に尽力し萩にナツミカン栽培を広めた実業家

出身者

おやまたかとも

小山高朝
1508年~1575年栃木県
武将

結城政朝の三男で、小山氏の家督を継承し、小山氏の家臣団の統一を行った戦国武将

出身者

おやまひでつな

小山秀綱
1529年~1603年栃木県
大名武将

上杉氏・北条氏の狭間で存続を図るが、北条氏に居城・祇園城を明け渡し、北条氏についた戦国大名

出身者

さのまさつな

佐野昌綱
1529年~1574年栃木県
大名武将

唐沢山城を居城とし、上杉氏・北条氏などの大大名の狭間で何度も攻められながらも、領地を守り続けた戦国大名

出身者

さのむねつな

佐野宗綱
1560年~1585年栃木県
武将

佐野昌綱の嫡男で、上杉謙信などに何度も攻められるが撃退するが、長尾顕長と戦いで討死した戦国武将

出身者

なすすけたね

那須資胤
不明~1583年栃木県
大名武将

結城氏や蘆名氏と攻防を繰り返し、家臣・大関高増による離反などが起こるが、領土を守り抜いた戦国大名

出身者

なすすけはる

那須資晴
1557年~1610年栃木県
大名武将

那須氏21代当主として、佐竹氏・結城氏・宇都宮氏と対立しながら領土を守るが、豊臣秀吉により改易となった戦国大名

出身者

なすのよいち

那須 与一
不明~不明栃木県
武将

源氏に仕え、屋島の戦いで平氏の軍船に掲げられた扇の的を射落とした逸話で知られる平安時代末期の武将

ゆかり

にのみやきんじろう

二宮金次郎
1787年~1856年神奈川県
小田原市
藩士農家

小田原藩などの藩政を担い、財政再建・藩政立て直しなどを行った江戸時代の農政家

出身者

はったともいえ

八田知家
1142年~1218年栃木県
武将

源頼朝の挙兵に応じ仕え、平家追討では源範頼に従い、奥州合戦では東海道大将軍を務めた平安末期・鎌倉時代初期の武将

ゆかり

ほんだまさずみ

本多正純
1565年~1637年愛知県
大名武将幕臣藩主

徳川家康の側近として、老中や宇都宮藩主などを務め、権勢をふるうが、徳川秀忠将軍になり疎まれ、改易された戦国大名

ゆかり

ゆうきひでやす

結城秀康
1574年~1607年静岡県
浜松市
大名武将

徳川家康の次男で、関ヶ原の戦いに際し上杉景勝の西上を阻止した功により北ノ庄初代藩主となった戦国大名・武将


 他の都道府県の出身者・ゆかりのある人物については、「人物の都道府県一覧」をご覧ください。

タイトルとURLをコピーしました