概要
茨城県で生まれたり、茨城県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)
※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。
茨城県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「茨城県の人物」をご覧ください。
一覧
名前 | 出没年 | 出身地 | 概要 | ゆかり | あさのながまさ 浅野長政 | 1547年~1611年 | 愛知県 | 大名武将 | ゆかり | あしかがはるうじ 足利晴氏 | 1508年~1560年 | 不明 | 大名武将 | ゆかり | あしかがまさうじ 足利政氏 | 1462年~1531年 | 不明 | 武将 古河公方として、両上杉氏和解し関東管領を中心とする東国の支配秩序の再建を図ろうとするが、息子2人と対立し、隠退した人物 | 出身者 | あしなよしひろ 蘆名義広 | 1575年~1631年 | 茨城県 | 大名武将 佐竹義重の次男で蘆名盛隆の養子となり、蘆名氏当主として会津を領するが、伊達氏に攻められ、常陸に逃れた戦国大名 | 出身者 | いとうかしたろう 伊東甲子太郎 | 1835年~1867年 | 茨城県 | 武士 新選組の参謀であったが思想の違いから離脱し、御陵衛士を結成し、油小路事件で暗殺された人物 | 出身者 | えどしげみち 江戸重通 | 1556年~1598年 | 茨城県 | 大名武将 | 出身者 | えどただみち 江戸忠通 | 1508年~1564年 | 茨城県 | 武将 佐竹義篤に従属していたが、その死後反抗し、佐竹義昭と争い降伏に追い込まれた戦国武将 | ゆかり | おおたすけまさ 太田資正 | 1522年~1591年 | 埼玉県 | 武将 一時、北条氏に仕えるが、扇谷上杉氏や佐竹氏の家臣として、北条氏と争い続けた戦国武将 | 出身者 | おがさわらただまさ 小笠原忠真 | 1596年~1667年 | 茨城県 古河市 | 大名武将藩主茶人 | 出身者 | おだうじはる 小田氏治 | 不明~1602年 | 茨城県 | 大名武将 小田氏最後の当主であり、居城・小田城を何度も奪われ・奪い返し、戦国最弱とも言われる戦国大名 | ゆかり | おだまさはる 小田政治 | 1492年~1548年 | 不明 | 大名武将 堀越公方・足利政知の子で、江戸氏・結城氏・古河公方などと戦い、勢力を拡大し、小田氏の中興の祖と呼ばれる戦国大名 | ゆかり | かとうだんぞう 加藤段蔵 | 不明~不明 | 不明 | 武士忍者 跳躍の達人だったことから「飛び加藤」と呼ばれ、上杉家や武田家への仕官を望むが、怪しまれ暗殺された戦国時代の忍者 | 出身者 | きもつきかねあき 肝付兼亮 | 1558年~1634年 | 茨城県 | 大名武将 肝付氏の第16代当主で、島津氏との戦いで敗れ、家臣の離反などもあり、島津氏に従属した戦国大名 | 出身者 | くろさわごろう 黒沢五郎 | 1833年~1862年 | 茨城県 | 藩士 幕末の水戸藩士で、第一次東禅寺事件と坂下門外の変の実行犯 | 出身者 | さいとうでんきぼう 斎藤伝鬼房 | 1550年~1587年 | 茨城県 筑西市 | 剣術家 天流剣術の創始者で、決闘で打ち倒した桜井霞之助の門人に暗殺された戦国時代の剣豪 | 出身者 | さたけよしあき 佐竹義昭 | 1531年~1565年 | 茨城県 | 大名武将 常陸太田城主で、結城氏・小田氏などと戦い、勢力を拡大するが、常陸統一を目前に亡くなった戦国大名・武将 | 出身者 | さたけよしきよ 佐竹義舜 | 1470年~1517年 | 茨城県 | 大名武将 佐竹山入家により奪われた常陸太田城を取り戻し、佐竹家発展の基礎を作ったことから、佐竹氏中興の祖といわれる戦国大名 | 出身者 | さたけよししげ 佐竹義重 | 1547年~1612年 | 茨城県 | 大名武将 勇猛さから「鬼義重」とも呼ばれ、北条氏や伊達氏などと争いながら、佐竹氏の全盛期を築き上げた常陸国の戦国武将 | 出身者 | さたけよしのぶ 佐竹義宣 | 1570年~1633年 | 茨城県 常陸太田市 | 大名武将藩主 江戸氏や南方三十三館を討伐し、常陸国を支配したが、関ヶ原の戦いで西軍につき、出羽に転封され、初代久保田藩主となった戦国大名・武将 | 出身者 | すだみつちか 須田満親 | 1526年~1598年 | 茨城県 | 武将 上杉家に仕え、越中方面の攻略や北信4郡の押さえなどを任された戦国武将 |
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