ビール

概要

 現在の日本人にとってなじみ深いビールであるが、初めて日本人がビールを飲んだのは江戸時代の頃とされている。ただ本格的に、日本人がビールを飲み始めたのは、開国によってである。
 開国に伴い、外国人居住地で外国人の文化が流入すると、明治初頭から、日本各地でビールの製造が始まり、日本におけるビール産業の勃興期を迎える。
 その後、1890年代後半の日清戦争が起こった頃には、ビールの消費量が急増し、ビール産業は大きな飲料産業となる。

 しかし、競争の激化と麦酒税法の導入で、廃業・倒産・合併などが起こり寡占化が進み、1900年代初めには、大日本麦酒・麒麟麦酒・日本麦酒鉱泉の3大ビール会社が市場のシャアを占める。

 戦後、大日本麦酒が朝日麦酒と札幌麦酒に解体され、更に昭和38年にサントリーがビール事業に参入し、ビール市場は、現在の4大ビール会社が大きなシェアを占めるに至る。


年表

1613年(慶長18年)

長崎・平戸のイギリス船グローブ号の積荷リストにビールが掲載

日本の歴史上、初めてビールが登場


1724年(享保9年)

この年、刊行された『和蘭問答』にビールが掲載

オランダ商館長の一行がビールを飲んだことが記されている。
「麦酒給見申候処、殊更悪敷物にて、何のあぢはひも無御座候、名はビイルと申候」


江戸時代後期

川本幸民が初めてビールの試醸をしたとされる


1858年(安政5年)

この年、修好通商条約締結

この条約で外国人居留地が設けられると、その外国人向けにビールの輸入が始まる。


1870年(明治3年)

この年、アメリカ国籍のノルウェー人、ウィリアム・コープランドが横浜山手の天沼に「スプリングバレー・ブルワリー」を設立(後の「天沼ビアザケ」)。

この「スプリングバレー・ブルワリー」が日本のビール産業の創始とされている。

この頃から、日本人によるビール製造が始まるが、まだまだ規模が小さく、技術も未熟であった。


1872年(明治5年)

この年、大阪で渋谷庄三郎が「渋谷ビール」を醸造・販売


1874年(明治7年)

この年、甲府で野口正章が「三ツ鱗ビール」を醸造・販売


1876年(明治9年)

この年、北海道開拓使が官営の「開拓使麦酒醸造所」を設立


1879年(明治12年)

この年、金沢三右衛門が「桜田ビール」を醸造・販売


1884年(明治17年)

この年、「スプリングバレー・ブルワリー」が破綻

「スプリングバレー・ブルワリー」の経営が悪化し、ウィリアム・コープランドが破産宣告を受ける


1884年(明治17年)

7月 香港籍英国法人の「ジャパン・ブルワリー」設立

競売にかけられたスプリングバレー・ブルワリーの土地と水を引き継ぎ、設立

なお、スプリングバレー・ブルワリーの設備は、東京の浅田甚右衛門が購入し、浅田麦酒醸造所を設立(「浅田ビール」を製造)


1887年(明治20年)

この年、「丸三麦酒醸造所」が設立される(後の日本麦酒鉱泉)
9月 「日本麦酒醸造会社」設立

東京の中小企業家が合同で設立したもので、後に「恵比寿ビール」を製造

12月 「札幌麦酒会社」設立

官営の開拓使麦酒醸造所が、大倉組商会に払下げられ、札幌麦酒会社が設立される(後の「サッポロビール」)


1888年(明治21年)

5月 明治屋がジャパン・ブルワリーの総代理店に指名

ジャパン・ブルワリーは外国法人であるので、居留地以外で販売するには、日本人の代理店が必要となり、明治屋がその総代理店となる。

そして、「キリンビール」と命名し販売される。


1889年(明治22年)

この年、大阪で鳥居駒吉を中心に「大阪麦酒会社」が設立(後の「アサヒビール」)


1894年(明治27年)

この年、日清戦争勃発

この頃から、ビールの消費量が急増する。


1901年(明治34年)

10月 「麦酒税法」施行

ビールに初めて税がかけられる。

この結果、100社を超えていたと言われるビール会社は、この年の末までに23社まで激減したと言われている。


1906年(明治39年)

3月 日本麦酒・札幌麦酒・大阪麦酒が合同し、「大日本麦酒」が設立

日本麦酒、札幌麦酒、大阪麦酒、麒麟麦酒の4大会社による激しい競争を繰り広げる中、このういち3社が合併し、巨大なビール会社となる。


1907年(明治40年)

2月 「麒麟麦酒株式会社」設立

前年、大日本麦酒が誕生する中、明治屋として、ジャパン・ブルワリーという外国法人のままでは経営上不利な面が多く、ジャパン・ブルワリーから事業譲渡を受け、新たに「麒麟麦酒株式会社」が設立される。


1929年(昭和4年)

12月 寿屋が日英醸造を買収

ワインを製造・販売していた寿屋(現:サントリー)が、「カスケードビール」を製造していた日英醸造を買収し、ビール事業の乗り出す。
(寡占化したビール市場で、勝負を挑むが、1934年(昭和9年)に撤退)


1933年(昭和8年)

この年、日本麦酒鉱泉と大日本麦酒が合併


1949年(昭和24年)

9月 大日本麦酒が過度経済力集中排除法の適用を受ける

この結果、大日本麦酒は、日本麦酒と朝日麦酒の2社に分割される


1957年(昭和32年)

この年、宝酒造がビール事業に参入(後の1967年(昭和42年)に撤退)
5月 アメリカ統治下の沖縄で「沖縄ビール株式会社」設立

その後、「オリオンビール」製造・販売


1963年(昭和38年)

この年、サントリーがビール事業に参入


ゆかりの地・施設

ビールの歴史に関する施設・ゆかりの地です。

麒麟麦酒開源記念碑

スプリングバレー・ブルワリー(現:キリンビール)が、日本で初めてビール製造を行なった地として、記念碑が建立されている。

  麒麟麦酒開源記念碑(神奈川県横浜市中区千代崎町1丁目 キリン園公園内)

ビール井戸

横浜市立北方小学校に、かつてスプリングバレー・ブルワリー(現:キリンビール)の工場があり、井戸水を利用してビールが作られていた。その井戸が小学校校庭に残されている。

  ビール井戸(神奈川県横浜市中区諏訪町29 北方小学校内)

参考

  生島淳「飲料業界のパイオニア・スピリット

  サッポロビール株式会社「歴史・沿革

  アサヒグループホールディングス「歴史・沿革

  キリンホールディングス「沿革

  サントリー「サントリーの歴史

  オリオンビール「会社沿革

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