概要
鍋島直茂は、龍造寺隆信の家老として活躍した戦国時代の武将です。
名 前 | 鍋島 直茂 (なべしま なおしげ) |
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別 名 | (幼名)彦法師丸、(別名)鍋島信安、鍋島信真、鍋島信昌、鍋島信生 |
性 別 | 男性 |
生没年 | 1538年4月12日(天文7年3月13日)~1618年7月24日(元和4年6月3日) |
出生地 | 肥前佐嘉郡本庄村(現:佐賀県佐賀市) |
没 地 | |
時 代 | 戦国安土桃山江戸 |
父 親 | 鍋島清房、(養父)千葉胤連 |
母 親 | 華渓、(継母)慶誾尼 |
配偶者 | (正室)慶円、(継室)彦鶴、(側室)井手口小左衛門妹 |
子 供 | 鍋島勝茂、鍋島忠茂、伊勢龍、千鶴、彦菊、(養子)鍋島茂里、龍造寺高房、大田茂連室 |
家 族 | |
備 考 |
名言
鍋島直茂による名言・至言です。
上中下の分別の人、上は人の能き所作の分別を見取て、我分別に為すなり、中は人より異見をされて、我分別に為す、下は人より能き事を言ひ聞かせられて笑ふなり
『名将言行録』
律儀正直に計り覚て心が逼塞して居ては、男業(おとこわざ)はなるべからず
『名将言行録』
律儀・正直に生き過ぎて、心が狭くなるようでは、男の仕事はできないという意。
大事の思案は軽くすべし、又万事したるきこと、十に七つ悪しゝ、武士は物毎手取早にするものぞ
『名将言行録』
上下によらず時節到来すれば、家が崩るゝものなり
『名将言行録』
『直茂様御教訓ヶ条覚書』では、「時節到来と見候はば、潔く家を崩すべしと覚悟つかまつるべし」と出てくるが、時代が過ぎれば、家はダメになるので、その際には潔く家を崩したほうがいいというもの。
我気に入らぬことが、我為めに成るものなり
『名将言行録』
返す返す罰は軽くし、少しの忠も重くせば、家は連続すべし
『名将言行録』
能き大将、能き人持たるは、城郭如何にも入るべし、悪き大将の人持たぬは、城郭堅固なりとも、無益なり
『名将言行録』
武田信玄の「人は石垣」の名言にも通ずるような言葉である。
侍たらん者は、不断心ゆるす勿れ、不慮のことに仕合するものなり、油断すれば、必ず越度(おちど)あるものなり
『名将言行録』
惣て俸禄は勝軍(かちいくさ)の時に用に立てども、負軍(まけいくさ)になりては、一言の情を掛たる者ならでは、用に立たず
『名将言行録』
参考
岡谷繁実「名将言行録 3」
本郷和人「名将の言葉 ─武人の生き様と美学」
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