概要
渋沢栄一は、戦前に多くの企業の設立・経営に携わり、日本資本主義の父・社会起業家の先駆者などと言われる実業家です。
名 前 | 渋沢 栄一 (しぶさわ えいいち) |
---|---|
別 名 | (幼名)市三郎 |
性 別 | 男性 |
生没年 | 1840年3月16日(天保11年2月13日)~1931年(昭和6年)11月11日 |
出生地 | 武蔵国血洗島(現:埼玉県深谷市) |
没 地 | |
時 代 | 江戸明治大正昭和 |
父 親 | 渋沢美雅 |
母 親 | エイ |
配偶者 | |
子 供 | |
家 族 | |
備 考 |
概要
富農の子として、埼玉県に生まれます。一橋慶喜に使えたことを期に幕臣となり、フランスなどを視察。しかし渡欧中、大政奉還が起こり、明治政府となり帰国しました。
帰国後には、大蔵省に入るなどしましたが、退官後、第一国立銀行の頭取に就任するなど、経営者として活動していくことになります。多くの地方銀行を設立したのみならず、東京瓦斯など多くの企業設立に携わりました。
年表
渋沢栄一に関する年表・年譜です。
年 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
1840年(天保2年) | 0歳 | 富農・渋沢美雅の長男として、武蔵国血洗島で生まれる。 |
1853年(寛永6年) | 13歳 | 初めて江戸を見物する。 |
1858年(安政5年) | 18歳 | 尾高惇忠の妹・千代と結婚する。 |
1861年(文久元年) | 21歳 | 江戸に出て、海保漁村の塾生となる。 |
1863年(文久3年) | 23歳 |
9月 高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを計画するが中止。 11月 京都に上る |
1864年(元治元年) | 24歳 | 2月 一橋家に出仕し、御用談所下役となる。 |
1865年(慶応元年) | 25歳 | 勘定組頭に取り立てられる。 |
1866年(慶応2年) | 26歳 | 御使番格に昇格する。 |
1867年(慶応3年) | 27歳 | 1月 パリ万博参加の徳川昭武使節団に随行して渡航する。 |
1868年(明治元年) | 28歳 | 2月 外国奉行支配調役に任ぜられる。 11月 帰国する。 12月 静岡藩勘定組頭に命じられるが辞退 |
1869年(明治2年) | 29歳 |
1月 静岡藩勘定頭支配同組頭格勝手掛老中手付、商法会所頭取を命じられる(静岡商法会所設立)。 10月 大蔵省租税正に就く。 |
1870年(明治3年) | 30歳 | 9月 租税正として大蔵少丞に昇格する。 |
1871年(明治4年) | 31歳 |
5月 大蔵権大丞になる。 6月 「立会略則」を著す。 11月 父・美雅死去 |
1872年(明治5年) | 32歳 | 東京会議所、養育院設立。 |
1873年(明治6年) | 33歳 |
5月 大蔵省を退職。 6月 第一国立銀行創立総会が開催される(総監役に就任)。 抄紙会社設立。 |
1875年(明治8年) | 35歳 |
1月 第一国立銀行頭取となる。 東京鉄道会社の設立を主導する。 ホイットニーを教師とする商法講習所開設。 |
1876年(明治9年) | 36歳 | 品川白煉瓦製造所の設立に関わる。 |
1877年(明治10年) | 37歳 |
銀行業者の教育・地位向上を図るため、択善会を組織する。 三井家の相談役となる。 |
1878年(明治11年) | 38歳 |
第一国立銀行釜山支店を開設する。 東京商法会議所を設立する。 |
1879年(明治12年) | 39歳 | 東京海上保険会社を設立する。 |
1881年(明治14年) | 41歳 | 日本鉄道会社を設立する。 |
1882年(明治15年) | 42歳 |
長女・歌子が穂積陳重と結婚する。 妻・千代が病没。 大阪紡績会社、共同運輸会社を設立する。 |
1883年(明治16年) | 43歳 | 兼子と再婚する。 |
1885年(明治18年) | 45歳 | 竜門社を発足する。 |
1886年(明治19年) | 46歳 | 京都織物株式会社創立発起人会。 |
1887年(明治20年) | 47歳 | 東京手形交換所を設立する。 |
1888年(明治21年) | 48歳 |
次女・琴子が阪谷芳郎と結婚する。 製藍会社を支援する。 東京女子館を開設する。 |
1889年(明治22年) | 49歳 |
北海道炭鉱鉄道株式会社を設立する。 渋沢同族会第1回会合が開かれる。 |
1893年(明治26年) | 53歳 | 東京瓦斯会社取締役会長となる。 |
1894年(明治27年) | 54歳 | 青木漁猟組に匿名組合員として出資する。 |
1895年(明治28年) | 55歳 | 青木商会を支援する。 |
1898年(明治31年) | 58歳 | 韓国を視察する。 |
1900年(明治33年) | 60歳 |
男爵となる。 大蔵商業学校を開設する。 韓国を視察する。 |
1901年(明治34年) | 61歳 |
京華商業学校開校 日本女子大学開学 |
1902年(明治35年) | 62歳 |
日本興業銀行を設立する。 欧米へ旅行する。 |
1906年(明治39年) | 66歳 | 韓国を視察する。 |
1909年(明治42年) | 69歳 |
1月 三女・愛子が明石照男と婚約する。 6月 第一銀行などを除いて、大半の関連事業より手を引く。 8月 渡米実業団とともに訪米する。 |
1912年(明治45年) | 72歳 |
長男・篤二の廃嫡方針が同族会で決定される。 帰一協会を設立する。 |
1914年(大正3年) | 74歳 | 高千穂高等商業学校開校 |
1915年(大正4年) | 75歳 | 4月 渋沢同族株式会社を設立する。 |
1916年(大正5年) | 76歳 | 実業界の第一線から引退する。 |
1919年(大正8年) | 79歳 |
大倉高等商業学校発足 協調会を設立する。 |
1920年(大正9年) | 80歳 | 子爵となる |
1931年(昭和6年) | 91歳 | 11月11日 死去 |
名言
渋沢栄一による名言・至言です。
わずかも道徳と経済と相離るべからざるものである。
『経済と道徳』
著書
渋沢栄一による著書・著作です。
渋沢栄一「経済と道徳」
渋沢栄一「渋沢栄一の「論語講義」」
渋沢栄一「雨夜譚:渋沢栄一自伝」
文献
渋沢栄一に関する文献・著書です。
島田昌和「渋沢栄一の企業者活動の研究」
島田昌和「渋沢栄一――社会企業家の先駆者」
東京商工会議所編「渋沢栄一 日本を創った実業人」
土屋喬雄「渋沢栄一」
三好信浩「渋沢栄一と日本商業教育発達史」
井上潤「渋沢栄一―近代日本社会の創造者」
大谷まこと「渋沢栄一の福祉思想―英国との対比からその特質を探る」
木村昌人「渋沢栄一―民間経済外交の創始者」
見城悌司「渋沢栄一」
坂本慎一「渋沢栄一の経世済民思想」
渋沢研究会編「公益の追求者・渋沢栄一」
渋沢華子「渋沢栄一、パリ万博へ」
渋沢華子「徳川慶喜最後の寵臣 渋沢栄一―そしてその一族の人びと」
小説
渋沢栄一を主人公とした小説です。
参考
大隅和雄他「知っておきたい日本の名言・格言事典」
コメント