概要
辻政信は、ノモンハン事変やガダルカナル島の戦いなどに関わった戦前の陸軍参謀・政治家です。
名 前 | 辻 政信 (つじ まさのぶ) |
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性 別 | 男性 |
生没年 | 1902年(明治35年)10月11日~1961年(昭和36年)行方不明(東京家庭裁判所により1968年(昭和43年)7月20日付で死亡宣告) |
出生地 | 石川県江沼郡東谷奥村今立(現:石川県加賀市山中温泉) |
没 地 | |
時 代 | 明治大正昭和 |
父 親 | 辻亀吉 |
母 親 | |
配偶者 | |
子 供 | |
家 族 | |
備 考 |
内容
戦前の陸軍軍人・参謀である。
二・二六事件の一つの要因であり士官学校事件に関与したり、陸軍参謀としてノモンハン事件を起こしたりする。
太平洋戦争が始まると、マレー作戦に参加。作戦の神様と呼ばれるようになる。その後、ガダルカナル島の戦いに参加したり、各地で陸軍参謀として、職務を行う。
戦後は、戦犯逮捕を恐れ、中国などに潜伏。戦犯指定から逃れると、その潜伏中の話を書いた「潜行三千里」がベストセラーになる。そして、その著名度から、衆議院・参議院議員などを歴任。
しかし、1961年(昭和36年)にタイに出発し、失踪・行方不明となり、1969年(昭和44年)に東京裁判所により死亡宣告を受ける。
年表
辻政信に関する年表・年譜です。
年 | 年齢 | 出来事 |
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1902年(明治35年) | 0歳 | 炭焼きを行っている辻亀吉の3男として、石川県江沼郡東谷奥村今立で生まれる。 |
1918年(大正7年) | 16歳 | 名古屋陸軍地方幼年学校入学 |
1924年(大正13年) | 22歳 | 陸軍士官学校卒業(36期) |
1931年(昭和6年) | 29歳 | 陸軍大学校卒業(43期) |
1932年(昭和7年) | 30歳 |
第1次上海事変勃発(第7連隊第二中隊長として出征) 9月 参謀本部第一課配属 |
1933年(昭和8年) | 31歳 |
8月 大尉に昇進 9月 参謀本部第一部第三課に転属 |
1934年(昭和9年) | 32歳 |
9月 陸軍士官学校の生徒隊中隊長に任命 11月 陸軍士官学校事件 |
1936年(昭和11年) | 34歳 |
4月 関東軍参謀部第三課に配属 7月 盧溝橋事件 8月 北支那方面軍第一課参謀に任命 関東軍作戦参謀に任命 |
1937年(昭和12年) | 35歳 | 5月 ノモンハン事件 |
1941年(昭和16年) | 39歳 | 12月 マレー作戦(太平洋戦争開戦) |
1942年(昭和17年) | 40歳 |
3月 参謀本部作戦班長就任 8月 ガダルカナル島の戦い |
1944年(昭和19年) | 42歳 | 6月 拉孟・騰越の戦い |
1945年(昭和20年) | 43歳 | 8月 太平洋戦争敗戦(バンコクで終戦を迎える) |
1948年(昭和23年) | 46歳 | 日本に帰国 |
1950年(昭和25年) | 48歳 |
戦犯指定から逃れる 「潜行三千里」を発表し、ベストセラーになる。 |
1952年(昭和27年) | 50歳 | 衆議院議員に初当選 |
1959年(昭和34年) | 57歳 | 参議院議員に当選 |
1961年(昭和36年) | 59歳 |
4月 日本出発 5月 行方不明となる |
1969年(昭和44年) | - | 6月 東京家庭裁判所により1968年7月20日付の死亡宣告 |
著書
辻政信による著書・著作です。
辻政信「潜行三千里 完全版」(1950年)
辻政信「十五対一―運命の戦場」(1950年)
辻政信「ガダルカナル」(1950年)
辻政信「亜細亜の共感―戦いを通じて見た中国」(1950年)
辻政信「自衛中立」(1952年)
辻政信「シンガポール攻略」(1952年)
辻政信「この日本を」(1953年)
辻政信「1960年―恐るべき冷戦の終末」(1956年)
辻政信「世界の火薬庫をのぞく」(1957年)
辻政信「ズバリ直言」(1959年)
辻政信「これでよいのか」(1959年)
辻政信「ノモンハン秘史」(1967年)
文献
辻政信に関する文献・著書です。
田々宮英太郎「権謀に憑かれた参謀 辻政信―太平洋戦争の舞台裏」
高山信武「二人の参謀―服部卓四郎と辻政信」
霧台弘「闇に消えた参謀 辻政信」
三木公平「参謀辻政信 ラオスの霧に消ゆ」
橋本哲男「辻政信と七人の僧―奇才参謀と部下たちの潜行三千里」
小説
辻政信を主人公とした小説です。
杉森久英「参謀・辻政信」
ゆかりの地・施設
辻政信に関する施設・ゆかりの地です。。
辻政信像
石川県加賀市には、辻政信の像が建立されています。
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