足利義昭

概要

 足利義昭は、織田信長に擁され室町幕府第15代将軍となったが、その後、織田信長に反旗を翻した室町幕府最後の将軍です。

名 前 足利 義昭 (あしかが よしあき)
別 名(幼名)千歳丸、(別名)足利義秋、(法名)覚慶、昌山道休
性 別 男性
生没年 1537年12月15日(天文6年11月13日)~1597年10月9日(慶長2年8月28日)
出生地 京(現:京都府京都市)
没 地
時 代 戦国安土
父 親 足利義晴
母 親 慶寿院
配偶者 (正室)なし、(側室)さこの方、小宰相局、一対局、春日局、大蔵卿局、小少将局
子 供 足利義尋、一色義喬、永山義在、矢島秀行
家 族
備 考

略年表

 足利義昭の人生について、簡単に分かりやすくした略年表です。

年齢 出来事
1537年(天文6年) 1歳 生誕
1565年(永禄8年) 29歳 兄である将軍・足利義輝が暗殺され、興福寺に幽閉
1566年(永禄9年) 30歳 還俗し、義秋と名乗る
1568年(永禄11年) 32歳 織田信長に擁され上洛し、将軍就任
1573年(元亀4年/天正元年) 37歳 反信長の兵を挙げるが敗北し、京都追放
1576年(天正4年) 40歳 毛利家の庇護を受け、鞆幕府樹立
1587年(天正15年) 51歳 京都帰還
1588年(天正16年) 52歳 将軍職を辞し、出家
1597年(慶長2年) 61歳 大坂で病死

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