御三卿

概要

 御三卿は、8代将軍徳川吉宗、9代将軍徳川家重の子息から始まった、田安家・一橋家・清水家の3家である。

 御三卿は、あくまでも将軍家の親族という位置づけで、独立した藩塀とはみなされず、支配拠点はなく、それぞれ賄領10万石と江戸城における屋敷を与えられただけであった。

 そのため家臣は、御付人・御付切・御抱人から構成されていたが、御付人と御付切は幕府の役人で、御付人においては幕府の職制に組み込まれていることが多く、職制でも独立した存在ではなかった。

 これは徳川吉宗の意向で、独立した一門になれば領地を増やす必要があり、将軍家の次男以下を仮に置くだけの家を設置し、当主が不在となれば収公できるような体制を目論んでいたとされる。

 そのため、当主が不在の明屋形となることもしばしばあったが、将軍家の血筋が途絶えたときに、相続者を出されることもあった。

将軍となった者
田安家徳川吉宗2男・宗武
一橋家徳川吉宗4男・宗尹11代将軍・家斉、15代将軍・慶喜(水戸家から養子)
清水家徳川家重2男・重好


年表

1729年(享保14年)

徳川宗武が賄料3万俵を賜る


1731年(享保16年)

徳川宗武が田安屋形を賜る

田安家の原型ができる


1735年(享保20年)

徳川宗伊が賄料3万俵を賜る


1740年(元文5年)

徳川宗伊が一橋屋形を賜る

一橋家の原型ができる


1747年(延享3年)

田安家・一橋家が石高10万石を賜る

田安家・一橋家が成立する


1753年(宝暦3年)

徳川重好が賄料3万俵を賜る


1759年(宝暦9年)

徳川重好が清水屋形を賜る


1762年(宝暦12年)

清水家が石高10万石を賜る

これにより、3家とも10万石格の大名となり、御三卿となる。


江戸時代中後期

時折、当主不在の明屋形となる家が出てくる


1868年(慶応5年)

5月 田安家・一橋家が田安藩・一橋藩として独立し藩塀に列する

清水家は当主が不在だったため、田安家・一橋家の2家


参考

  深谷克己・須田努編『近世人の事典

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