賤ヶ岳の七本槍

概要

 賤ヶ岳の七本槍とは、賤ヶ岳の戦いで秀吉方で功名を挙げた7人の兵を指します。

名前出没年出身地概要

わきざかやすはる

脇坂安治
1554年~1626年滋賀県
長浜市
大名武将藩主
「賤ヶ岳の七本槍」の一人であり、洲本初代藩主・大洲藩初代藩主などとなった戦国大名・武将

かたぎりかつもと

片桐且元
1556年~1615年滋賀県
長浜市
武将藩主
賤ヶ岳の七本槍の1人であり豊臣家の直臣で初代竜田藩主となったが、方広寺鐘銘事件で徳川方に転じた戦国時代の大名・武将

ひらのながやす

平野長泰
1559年~1628年愛知県
津島市
武将幕臣
「賤ヶ岳の七本槍」の1人で、豊臣秀吉の家臣として、賤ヶ岳の戦い・小牧・長久手の戦いなどで功を挙げた戦国武将・旗本

ふくしままさのり

福島正則
1561年~1624年愛知県
あま市
大名武将藩主
豊臣秀吉の子飼いの武将で「賤ヶ岳の七本槍」の1人であり、関ヶ原の戦いの後、広島藩主となったが改易された戦国武将

かとうきよまさ

加藤清正
1562年~1611年愛知県
名古屋市
大名武将
「賤ヶ岳の七本槍」の一人に数えられる豊臣秀吉の家臣で、熊本藩初代藩主となった戦国武将

かすやたけのり

糟屋武則
1562年~不明兵庫県
武将
別所家から豊臣秀吉の家臣となり、賤ヶ岳の戦いで活躍するが、関ヶ原の戦いで西軍につき、所領を没収された戦国武将

かとうよしあき

加藤嘉明
1563年~1631年愛知県
西尾市
大名武将
賤ヶ岳の七本槍の1人で、松山藩・会津藩の初代藩主となった戦国大名・武将
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