概要
木曾義仲は、以仁王の平氏打倒の令旨により挙兵し、平氏を破って入京するが、後白河法皇と不和となり、粟津の戦いで討たれた平安時代末期の武将です。
名 前 | 木曾 義仲 (きそ よしなか) |
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別 名 | (別名)源義仲 |
性 別 | 男性 |
生没年 | 1154年(久寿元年)~1184年3月4日(寿永3年1月20日) |
出生地 | 武蔵国大蔵館(現:埼玉県比企郡嵐山町) |
没 地 | 近江国粟津(現:滋賀県大津市晴嵐1丁目) |
墓 所 | 木曽義仲の墓(滋賀県大津市馬場1丁目5-11 義仲寺内) |
時 代 | 平安 |
父 親 | 源義賢、(養父)中原兼遠 |
母 親 | 小枝御前 |
配偶者 | (正室)中原兼遠の娘、藤原伊子、(妾)巴御前 |
子 供 | 源義高、源義重、源義基、源義宗、源頼家妾 |
家 族 | |
備 考 |
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