概要
前田利家は、戦国時代に織田信長や豊臣秀吉に仕え、豊臣政権の五大老の一人となった加賀藩主前田氏の祖です。
名 前 | 前田 利家 (まえだ としいえ) |
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別 名 | (幼名)犬千代 |
性 別 | 男性 |
生没年 | 1538年(天文7年)~1599年4月27日(慶長4年閏3月3日) |
出生地 | 尾張国海東郡荒子村(現:名古屋市中川区荒子) |
没 地 | |
時 代 | 戦国安土桃山 |
父 親 | 前田利昌 |
母 親 | 長齢院 |
配偶者 | (正室)芳春院まつ、(側室)寿福院、隆興院、金晴院、明運院、逞正院 |
子 供 | 前田利長、前田利政、前田知好、前田利常、前田利孝、前田利貞、幸、蕭、摩阿、豪姫、与免、千世、菊、保智、福 他 |
家 族 | |
備 考 |
名言
前田利家による名言・至言です。
金を持てば人も世上も恐ろしく思はぬものなり。摺切れば世上も恐敷きものなり
『名将言行録』
同輩より下への状抔は、慇懃に書く程、先方にては猶々忝く思ふものなり
『名将言行録』
前田利家は、槍の又佐と言われたように武勇に優れた武将であったが、上記の言葉と同様に、戦のことではなく、人間関係などについての名言が残っている珍しい武将である。そして、いずれの言葉も現代社会で通用するような言葉である。
ゆかりの地・施設
前田利家に関する施設やゆかりの地です。
前田速念寺(前田城址)
前田利家が生まれ育ったと言われる前田城跡です(荒子城で生まれ育ったという説もあります)。
前田速念寺(前田城址)(愛知県名古屋市中川区前田西町1-904)
富士権現社(荒子城址)
前田城址とともに、前田利家が生まれ育ったとも言われる城跡です。ただ、後の利家は城主となっています。
前田利家公初陣之像
名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線の荒子駅前に、前田利家公初陣之像と、金沢兼六園の成巽閣で育てられた梅の木があります。
前田利家公初陣之像(愛知県名古屋市中川区吉良町)
安土城跡
安土城跡には、前田利家邸跡とされるところがあります(この他、羽柴秀吉邸跡とされるところなどもあります)。
安土城跡(滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)
七尾城跡
前田利家が城主となった七尾城跡です。ただ、利家は七尾城主となるとこの城を廃し、小丸山城を築城します。
七尾城跡(石川県七尾市古府町など)
小丸山城址公園
小丸山城跡で、現在は公園となっていますが、利家・まつの像もあります。
小丸山城址公園(石川県七尾市馬出町1-1)
金沢城
前田利家が加増を受け、本願寺の尾山御坊の跡地に建てられた城です。
加賀藩主前田家墓地
前田利家をはじめ、まつや歴代の加賀藩主の墓があります。
加賀藩主前田家墓地(石川県金沢市野田町墓地)
参考
岡谷繁実「名将言行録 2」
本郷和人「名将の言葉 ─武人の生き様と美学」
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